博打と刃物2008-07-21

休日出勤の帰り道、終点で気がつかずにそのまま折り返すところだった。いやはや。

夏ばて気味なので野中英次でも読もうかと思い、久しぶりに漫画フロアに立ち寄ったところ『新・花のあすか組!』を発見。うお懐かしい。Ver.2003ってことは2003年でやり直すというまるでアメコミのようなことになっているのか…。

高口里純の漫画では『ロンタイBABY』が傑作と信じて疑わないが、『花のあすか組!』も読んでいた。どちらも不良少女ものだが、『ロンタイBABY』が1974年の宇都宮を舞台にしたグラフィティものとして優れているのに対し、『花のあすか組!』は思春期の少女の生きにくさみたいなものが根底に据えられており、そこに共感できない分、全中裏なる裏番組織をメインにした荒唐無稽でゲーム的な設定を楽しんでいた記憶がある(東京23区の陣取り合戦とか)。ゲームの設定はほとんど少年漫画的な意味でうまいが、ほとんど毎回ゲームにきちんとした終わりがつかないまま、次の展開に流れてしまうという欠点がある。その辺、十年以上前の富樫義博と印象が近い。

先だって『ごくせん3』を家主と見ていた折には、言葉遣いがあまりに現代的で平坦に聞こえてつまらないと思ったものだが、高口里純ならその心配は無用だ。
『ロンタイBABY』で仁神堂緋郎(すごい名前だ)が「そんなぼんくらじゃねえよ」と独白し、『花のあすか組!』でヤスヒロが「あんな目をした男を見逃せるほどなまくらじゃねえ」と言うシーンがそれぞれあった。たとえばこういう語彙が出てくるのと来ないのでは、印象がずいぶん違う。
ぼんくらは「盆暗」、なまくらは「鈍ら」で、どちらも「頭の働きが鈍いこと」を意味するが、ぼんくらが間抜けを含意するのに対して、なまくらは怠けているイメージが強い。辞書を引くと、盆暗の語源は博打用語で、鈍らは刃物が切れないことだ。仁神堂緋郎が好きな女の色恋沙汰を知っているかと問いただされての独白、ヤスヒロが怪しい男を見かけての言葉であることを考えると、使い分けも実に適切。

…久々に漫画喫茶に行く用事ができたかな。

Dress Code2008-03-24

最終週だからか、仕事場でさすがにあまりやることがない。こんなことなら有給使って凧を作りたかったなと思いながら、ぼんやり仕事をこなす。

借りた漫画の感想など。『天牌列伝』は『天牌』の人気脇役のスピンアウトもので、このあいだ本編で死んだ入星が黒流会の代打ちになることを決めた頃、北岡の若い頃、三國が菊多と出会った頃、三國が入星の跡を継いだ頃の四編。驚いたことにこの四編、どれも本編とまったく時間差があるように見えない。有り体に言えば、顔つきも服装も言動もあまりに変化がないものだから、本編での「現在時」のキャラクタ達が寄ってたかって昔のフリをしているかのようだ。少しは描き分けてほしかった。

特に三國。高崎の雀荘店長ってあんなアレなスーツ着てるわけ?と言いたくなるほど本編と同じ意匠いや衣装。堅気らしさを出したいんだったら黒スーツにダークカラーのシャツはいかんだろう。本編での三國は、腕がいい=唸るほど金のある博打打ちとして高いスーツを着ている、という演出なのかと思っていたが、雀荘店長の頃からあんなスーツを着ていてはやる気満々すぎるじゃないの。それとも何か、三國はスーツ大好きな男なのか?千鳥格子のカーディガンばっか着てる弟にスーツの一着でも買ってやれ!

あと、描いた時期が同じ頃だからか、入星は、代打ちになるまで編と代打ち引退編でまったく同じスーツを着ている様子。かなり濃いめ・太めのストライプのシャツに、それよりずっと明るい色の大柄のネクタイという凄い合わせ方。ひょっとして本編でもずーっとこの格好なのか?

こうした『天牌』の衣装を見ていくと、堅実さ=ネクタイ、アウトロー=開襟、ヤクザとしての格が低い=上着なし、非ストリート系=タートルネック、とまあこのくらいの法則性で服の意味づけが分類できちゃいそうな気がする。何にせよいちばんまともなのは北岡だろう、頼むから北岡はタートルネックとか着ないように。

鉄男2008-03-23

やばい。今週に予定していたことがすべて過ぎ去っていったなと気がついたら、退職して旅行に行くまでほとんど時間がない。和凧製作キットを前に途方に暮れている。組み立て式の六角を作りたいんだよなーホントはできれば菱凧で…って私はいったいいつ、これを作る時間を捻出すればいいんだ…? クラシックに夜なべ?

さて、何から行くべきか。書き留めておきたいことはいろいろあるのだが。

MARVEL社原作の映画"Iron Man"は本国では5月に公開になる様子。日本には来てもヒットするかどうか…何せカラーリングが赤と黄色のウォーズマンなので。気になって調べてみたらアイアン・マンの初登場が1960年代の半ば、『キン肉マン』の連載開始が1979年だから、アイアン・マンの方が十年以上早かった。

公開された予告編を見てちょっとびっくりしたのが、決めどころの音楽にBLACK SABBATHの"Iron Man"を使っていたところ。そりゃー映画化するならこの曲使うしかないよね!
BLACK SABBATHは、今ではリアリティショーの常連となったオジー・オズボーンがヴォーカルを務めた元祖ヘヴィ・メタルバンドのひとつで、"Iron Man"が収録されているアルバム"Paranoid"だって1970年の発表だから相当昔だ。私が知ったときにはすでに長髪でちょっと下ぶくれ気味の変なおじさんだったけれど、昔の写真を見るとそれなりにかっこいい。若い頃に名前を売った黒魔術崇拝もパフォーマンスなんだろうなーということは、いい年してサービス精神旺盛なリアリティショーの映像を見るとよくわかる。

"Iron Man"も1960年代にスタン・リー(スパイダーマンやX-MENの原作で名高い人)とラリー・リーバーが作り出したキャラクターだ。
スパイダーマンやX-MENがわかりやすく「60年代」を反映したキャラクター達であるのに対し、アイアン・マンはいまいちよくわからない(スパイダーマンは「若者」のスーパーヒーローとして人気を博し、超能力者たちが迫害されるX-MENは公民権運動の盛んな世相を反映したものだというのが定説)。
アイアン・マンはMITを優秀な成績で卒業したエンジニアリングの天才で、かつ、両親の莫大な財産を継いだ社長さんでもある。ここだけ聞くと対比の対象は間違いなくウェイン財閥総帥のバットマンだが、じゃあ、バットマンと比較したときにアイアン・マンはどういう特徴があるのかというと…自分で鎧を作っちゃうくらい?(ちなみに映画『バットマン・ビギンズ』では、こともあろうにバットマン自身が黒のラッカースプレーをバットスーツに吹きかけているというシーンがあり、クリストファー・ノーランはおそらくバットマンなんか全然好きじゃなかったんだろうなあと思わせた。よりによってバットマンにそんなみみっちい真似をさせるとは。悪意でないならただの無知だ、しかも、監督を務めるには決定的な無知だ)

賭けてもいいが、日本人の目にはバカバカしくて見てられないものに映るんじゃないだろうか。やっぱり顔が…顔がまずいよ…

ブラックコートヴァンパイア2008-03-21

ふとしたことから吸血鬼の話になって、そういえばスキンヘッドに黒いロングコートのギャング風吸血鬼の出てくる漫画が…と思い出した "30 Days of Night"。冬になると30日のあいだ夜が続くアラスカの田舎町にギャングまがいの吸血鬼達が押し寄せてくるという話だ。映画化するって言ってたけど全然来なかったなー立ち消えかなーと思っていたら、単に日本では公開されなかっただけで、本国ではすでにDVDが発売されていた。オフィシャルサイトはこちら。まあB級だしね…アメコミ原作だからDVDスルーはないかと思っていたのが甘かった。買うか…。
原作の"30 Days of Night"は美しい終わり方をして、続編の"Dark Days"に続く。"30 Days of Night"と"Dark Days"の関係は『ターミネーター』と『ターミネーター2』に近く、つまり、暴力的なラブストーリーだ。ちょっとアクションを足してそのまま映画化してほしい。
が、1を作らずに2は作れない。全米ではそこそこの興収があったようだけど、うーん果たして"30 Days of Night"が原作通り終わっているのかどうか。そうでなければ2へ続けられないんだが。

そういえば去年は、アメコミじゃないけどいちばん期待していた『ホット・ファズ』が劇場公開されなかった のだった。署名したけど、やっぱり公開されないのかなあ。こちらもついでにDVD買ってしまおうかと思案中。

Reading Materials2008-03-04

先月がすごかったので今月は自重しようと思っていたが、本屋があいている時間に仕事が終わったのでひととおり見て回る。で、平積みになっているのを見て思わず買ってしまったよ『ブルーザー・ブロディ 私の、知的反逆児』

このあいだともいさんと映画を観たとき、早川書房はがんばってはいるが業績はふるわないようだという話をしていて、早川書房がそれなら東京創元社はどうなるんだと思っていたのだが、驚いたことに『禅とオートバイ修理技術』がハヤカワから文庫化しているではないの。松岡正剛の千夜千冊でも取り上げられているが、1990年にめるくまーる社から出たこの本は古本でしか買えなくなって久しい。それが文庫化。めでたい。
数年前に『雪豹』も文庫化してたし、ひょっとして精神とランドスケープのシリーズを全部文庫化してくれるのかな。このシリーズは面白いのが多いのだけど、だいぶ前に本屋で見なくなってそれきりになっていた。 『ウィダの総督』だけまだ持ってないので是非お願いしたい。

借りた漫画の感想など。
よしながふみ『きのう何食べた?』はモーニングKCなのに中身がボーイズラブだよびっくりした…。四十をちょっと過ぎたゲイのカップルの日常生活を描きながら、毎回料理のシーンが出てくるという趣向。これホントにモーニングで連載してるのか。ほのぼのだし、ゲイであることを両親に理解されないというネタなどリアルゲイ寄りっぽい作風ではあるのだが、そうは言ってもボーイズラブの範疇だろうこれ…。
もう一点びっくりしたのが、片割れのカップルが料理を作るときのモノローグが完全にレシピ解説番組と化していて、普通の意味での「モノローグ」とは到底思えない点。何のメタフィクションかと思ったが、これがあることで「ゲイのカップルの日常生活もの」だというのが少し薄まって、青年誌でも連載しやすいものになってるのかなと思う。
それにしても、何で青年誌でボーイズラブなんだろう。

羽海野チカ『3月のライオン』。大ヒットした『ハチミツとクローバー』は未読。いろいろあった末に心を閉ざして生きるようになった十七歳のプロ棋士と、下町に暮らす三姉妹の交流。こちらでびっくりしたのは、銀座でホステスをしながら妹たちの面倒をみている長女のあかりさん。おっぱいとお尻がすごく立派に描かれていた野で驚いた。世間の評判など耳にして、てっきり、もっと性別を強調しない漫画を描くのかと思っていた。
モノローグの入れ方が甘ったるく感じられて気になる点はあるものの、今回借りた中ではいちばん面白かった。

ヤマシタトモコ『くいもの処明楽』は紛うことなきボーイズラブ。ちゃらんぽらんな居酒屋店長が無愛想なバイト店員に告白されて恋人になるまでの連作短編とその他の短編。設定など作りこんであるようなのに、扱いがさらっとしていて、ちょっと食い足りない感じ。雰囲気で流すよりも日常ネタを作りこんでくれたらいいと思うのだが。

新宿ゼロサムセレナーデ2008-02-25

うわ、気がついたらずいぶん時間が経っている。iTunesのファイルを整理しながら本を読んでいただけだというのに。音楽ファイルの整理にはちょっと中毒的な楽しさがあるな。昨日からはYoussou N'Dourをかけっぱなし。

入星が死んだと聞き『天牌』を慌てて立ち読み。
…まあ何だ、『特攻の拓』で言うと鰐淵が来栖に負けたみたいなものである。前号までをまったく読んでいないので、わかるのは、津神が勝って入星が負けたということだけだ。入星は己が負けるべくして負けたのだということをひとしきり語り、ひとりで雀荘を後にして、新宿の路上に倒れる。月とニューヨークの間で動けなくなったら恋に落ちるように、ネオンと麻雀卓の間で迷ったら新宿の路上にキスをする。ここで入星が死ぬというのは、『天牌』という物語はもう後には引けなくなったということだ。
かつて、黒沢が生きていた頃の『天牌』で何が怖ろしかったかといえば、巻末に牌譜がすべてついていたということだ。ありえない対戦のありえない闘牌を緻密に組み上げる執念が『天牌』の迫力で、そこで描かれるのは、卓を囲む四人がそれぞれに、煙草の煙を追いかけるように儚い上がりへの道筋を手繰り寄せていく『蜘蛛の糸』だった。糸は一本ではないが、ひとりが辿り着いたら残りの三人にはチャンスはない。麻雀がきちんとゼロサムだった。
ところで津神の強さには意味も理由もない。一条の光明を辿ることはもうしない。津神が出てきてしまった後では、ゼロサムなのは麻雀じゃなくて命だ。よっちゃん(=鮎川真里)は「負けた奴には死んでもらう」だの何だのと景気のいいことを言い、菊多(=一色大珠)は顔に濃い影をつくって「負けたら腕の腱を切れ」と言い放つ。挙げ句入星まで命を賭けた。そんなことはガキどもに任せておけばよかったのに。

しかし主人公はどこで何をやっているのか。
瞬がいない間によっちゃんが消え、入星が死に、三國か菊多のどちらかが麻雀を二度と打たないとか言っているのだが。つけるべき決着をつけないヒーローも珍しい。

Weight Of The World2008-01-28

『兎』を8巻まで読む。現在10巻まで刊行中だそうだが、8巻という半端な数字なのはオンライン書店で売っていたのがそこまでだからだ。
山城麻雀編が終わるところまでは読んだので、もういいかなという気もする。その後の外人代打ち軍団との対決は『有閑倶楽部』が『魁!!男塾』に変容していく過程を見ているようだ。そのうち「負けたら即死」とか言って、溶岩池の上とかビルの屋上とかで麻雀打ち出すんじゃないだろうか。それで落ちたら影慶役の風間巌が助けてくれるとか。風間は死んだはずなのに、違う格好で出てきて違う名前を名乗って、かつバレバレなのだから、これは影慶に決まり。
どうせなら柏木成駿には、驚邏大四凶殺での虎丸の役をやってほしかったな。「忘れねえでくれ、俺の名は柏木成駿。生まれ変わったらどこかの卓の前でまた会おう」昔『男塾』を読んでいた頃、驚邏大四凶殺で虎丸が「桜咲く校庭でまた会おう」と言ったのが、えー死んじゃうんだと思った最後だったが、『兎』の場合は山城麻雀が最後になりそうだ。考えてみれば、それぞれのキャラクタと特殊能力も男塾ライクと言って言えなくもない。絵だけは『DEATH NOTE』だけど。

しかし外人代打ち集団とは…。
常々思っているのだが、麻雀漫画の何がつらいって「世界」を出しようがないというところじゃないかと。カードやその他の洋ものギャンブルだったらラスヴェガスでもマカオでもモナコでも、どこでも行けばいい(そういえば、去年くらいだったか、マカオがラスヴェガスを売り上げで抜いたそうだ。ちょっとショックじゃない?)。世界選手権じゃオンラインポーカーで鍛えたという十代の女の子がチャンピオン獲ったりしていて、漫画のネタみたいのを地で行っている。生ける伝説たる爺さんもいれば、現役最強と言われる三十代のちんぴらくさい兄ちゃんもいて、たまにニュースを見るだけでも楽しいぞ。
そう考えると麻雀の世界はあまり広げようがないというか、東京で最強の代打ちを出してしまうともうその後が続かないところがある。華僑系をじっくり描けたら楽しいのかもしれないが、そういう麻雀漫画は寡聞にして知らない。『ノーマーク爆牌党』や『賭博黙示録カイジ』は世界の広さが非ジャンプ的だという点も素晴らしかったのだと思う。

Oh I'll still be here2008-01-21

The Servantの"Cells"はギターリフの印象的な曲で、ヴォーカルなしのバージョンが『シン・シティ』の予告編で使われたことで有名になった。私もそこで知ったくちだ。しかしこの曲、本家のヴォーカルありバージョンを聴いてみてびっくりしたのは、『シン・シティ』というセックスと暴力のファンタジー映画に使われていながら、実際はリーマンの悲しみに焦点を当てた歌だった、というところだろうか。というわけで、都会の賃金労働者の汚れちまった哀しみに浸るべくiPodに"Cells"を突っ込んで出勤である。帰りに聴くといい感じだ。
日が昇って沈む 身体を引きずって街へ出る All I do I want to do with you. 毎日デスクの前で俺は残り滓みたいなものだ

老いたアングルの夢の世界が 『トルコ風呂』であるようにフランク・ミラーの夢の世界が『シン・シティ』だとしたら、沙村広明の夢の世界は『ブラッドハーレーの馬車』なのか…そうかそりゃひどいな…。時は19世紀末のヨーロッパのどこかの国、孤児院で暮らす少女たちの憧れは、歌劇団の団員養成のために毎年養女を取るというブラッドハーレー卿の馬車が孤児院へやってきて、自分を連れていってくれること。ジョーゼットのきれいな服を着せられて、馬車に乗って向かう先にはしかし、これ以上ないくらい残酷な運命が待ち受けていて…という連作短編。いやぁSMだなあ。団鬼六なエロで堕ちていく女の話ではなくて、もっと暴力的だ。
ネタだけ取り出してみると「うっわー嫌だなこういうの」としか言いようがないが、きちんと連作短編として読めるのがすごい。最後はきちんと終わっているし。ただまあ個人的な趣味とは程遠いので、どの話がよかったかと言われれば、この中では割とストレートな刑務所ネタ「家族写真」なんだが。

刑務所ネタで思い出して、ジョゼ・ジョヴァンニの『穴』が読みたくなったのだが、犯罪小説棚になかった。というか私のジョゼ・ジョヴァンニ本たちはどこへ行っちゃったんだ…?実家に送ったか誰かに貸したか、もう覚えていないが、『穴』だけはもう一度買ってもいい。
第二次大戦中はレジスタンス活動に実を投じていたジョゼ・ジョヴァンニは終戦後、暗黒街で暮らすようになり、何度か刑務所に入ることになった。そこでの体験をもとに書いた脱獄もの『穴』の大ヒットで一躍有名になったのだが、その後のジョゼ・ジョヴァンニはどんどんロマンチックになっていくばかりで、どれも『穴』ほどは琴線に触れない。
ここから抜け出したいという渇望は、デスクの前で残り滓のようになっている人間にも容易に想像できるものだというだけかもしれないが。

My Foolish Heart2007-12-10

鈴木志保全集とも言うべきラインナップで漫画を貸してもらい、さっそく読んでいる。今だったら決して手に取らないだろうなーと思うのに今読んでもおもしろい。『船を建てる』で印象的なエピソードは、今の私の分類で言うとみんな大鹿マロイ的にバカ切ない。
大鹿マロイは『さらば愛しき女よ』の登場人物で、八年間の刑期を終えて出所して、いの一番にヴェルマを探しにやってきて、そこでフィリップ・マーロウと出会う。ヴェルマとは八年も会っておらず、手紙も六年もらっていないというのにマロイと来たら「何かあったにちがいねえ」とか言うのだ。そこで誰が「ちがうよ」という冷たいつっこみを入れられる? (もっとも、入れたところでマロイは聞かないのだろうけど)
あれは原作じゃなくてロバート・ミッチャムが主演した映画の方だったと思うが、撃たれたマロイについてフィリップ・マーロウが言うことには「三発撃ち込まれても起きあがってヴェルマを愛しただろう」。…だったかな、ちょっと記憶が曖昧だけど。
話がそれたが、とにかく、そんな感じでもの悲しいのである。どいつもこいつもバカすぎる。マロイがヴェルマに惚れるような色恋沙汰が絡まないから、余計に切ない。

『船を建てる』は欧米のポップカルチャーをあちこち引用しているが、「フロリダ州では桃が熟れる頃/甘粛省では杏が熟れる頃」では、中国の僻地に暮らす仲のよいアシカの老夫婦の生活が語られる合間に、ジャックとベティの会話が挿入される。「そういやベティ/オレ達は最初に どこで/出会ったんだったかな」「木よ ジャック 桃の木/その下で/であったのよ あたしたち/フロリダ州じゃ 桃が熟れる頃よ」 ちょっと『ワイルド・アット・ハート』風だが、そういえば、バリー・ギフォードはどこにも引用されてないなあ。わりと好きそうに思うけど。
また話がそれた。アシカの老夫婦とジャック&ベティはどちらも、パーフェクトなボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。そしてこの短い話のラストは、 Lesson 1で終わる。ジャックとベティが出会い、二人は礼儀正しく交互に"Hello."と言う。"How are you?" "I'm fine thank you, and you?" "I'm fine, thank you."

鈴木志保の年齢は知らないけど、英語の教科書に出てくる二人はその後、いろいろメンバー交代があるみたいだから、ジャックとベティじゃなかったかもしれない。あれが懐かしいのはもっと年上じゃないだろうか。だからこれは、やっぱり、『永遠のジャック&ベティ』 ネタだったのか、と今にして思う。
『永遠のジャック&ベティ』は清水義範の傑作で、あのジャックとベティが数十年後に再会する話だ。いい年の大人になって人生経験も積んだのに、二人が再会した瞬間、あの口調でしか喋れなくなってしまうのである。「あなたの息子の趣味は何ですか?」「彼はときどき、麻薬と強姦をします」みたいな。バカすぎる。
この話はオチもいい。普段なら気の利いた誘い文句のひとつや二つと思いながら、この口調でしか喋れないんじゃな…とジャックが寂しくひとりごつのだ。ちょっと切なくもある。ベティの前ではジャックはジャックなのだ。

バカだなあと思いながら、自分もやはりバカであるので、不意にわかってしまったりしてじーんとするのであった。

酔っぱらいは怪我をしない2007-11-10

金曜日は久しぶりに酔っぱらった。三人でビールとスパークリングワインと白ワインを何本か。その後もヴィクトリアンビターとか飲んだな。いやー赤坂からどうやって帰ってきたんだろう。電車の記憶が一切ない。しかしおかげさまで熟睡できたし、二日酔いにもなっていない。よかったよかった。
「労働において他人の好意をあてにするなってんですよ!」とか「パッションが足りないらしいですー知るかー!」とか言ってたような気がするが…とりあえず一緒に飲んでた先輩に謝罪のメールを出しておこう…。

帰ったら『ウォッカ・タイム』が届いていた。Amazonマーケットプレイスで購入したもの。麻雀漫画の片山まさゆきが80年代の半ばに書いていたソ連共産党ギャグマンガで、時代的にはチェルネンコからゴルバチョフのあたり。かのクレムリン「20世紀ハゲフサ交代理論」はここが出所だったのかー知らなかった。(注:ソ連の最高指導者はレーニン以降、ハゲとふさふさが交互に来ることになっている、というもの。レーニンがハゲ、スターリンがふさふさ、フルシチョフはハゲ、ブレジネフはふさふさ…そしてプーチンはハゲである) しっかし、ゴルバチョフもレーガンも本当に似ていないなあ。言われなかったら絶対にわかんないよ。

そういえば、ちょっと前のフィナンシャル・タイムズで、ヨーロッパとは別の道を行くロシアと中国の記事で、ロシアは獰猛そうな熊、中国はドラゴンとして表されていた。ロシア人を熊というのはアメリカ人をヤンキーと言うようなもんで、自分で言うには問題ないが外部の人間が言うべきではないものだと思っていたのだけれど、中国=ドラゴンというかなりかっこいい表象と並んでいると、そうでもないのかもと思えてくる。
でもこの記事はきっと、「ロシア=熊って絵を描こう、じゃあ中国はどうする?」という発想でイラストをつけたんじゃないのかなあ。

ちなみにプーチン政権下の教科書では、初代フサであるスターリンは「ソ連のもっとも成功した指導者」とされてるって本当?