Pros and Cons2010-12-27

冬の朝が明けるのは遅い。午前五時、外はまだ真っ暗だ。
こんな時間に何をしているかといえば仕事である。まあ、ちょっと息抜きと称して、無為にネットを漂ったりはしているが。

今年失ったもの――――手帳をつける習慣、新しい音楽 (つまりNapster)、読書量(映画も)、幾人かの友人との連絡(これはまた復活すればいいが)、毎週の床のワックスがけの習慣、睡眠のサイクル。

今年得たもの――――新しいiPod(でもクラシック)、自宅での仕事中の現実逃避に益体もないfanfictionを書く習慣、昇進したなそういえば、何軒かの新しい行きつけ、何人かの知り合い、今さら開けたピアスの穴、まあ、たぶん、何もなかったってわけではないだろう。

過ぎた時間のプロコン分析に意味はない。顧みることは必要だけど。

歩くオールアバウト2010-12-10

…昔そういう仇名の友達がいた。

人生でいちばん多くされた質問を挙げろと言われたら「何でそんなこと知っているの」かもしれない。人と知り合うたびに言われている気がする。ちなみに回答はこの五年くらい「物知りなんです」で統一している。実際には全然物知りじゃないけど。

視力検査のCの字の名前はランドルト環だとかロボット三原則が言えちゃうとか去年の世界ポーカー選手権の優勝者の経歴とかジョニー・キャッシュが40回同じ女にプロポーズしたとか人差し指より薬指の方が長いと男性ホルモンが多いらしいと言われてるとか阿佐田哲也がナルコレプシーだったとか。でもそんなのはただの知識だ。どれも知ってる人なら当たり前に知ってる事柄で、そりゃ知ってる人が知ってるのは当たり前なんだけど、じゃあみんなが当たり前に知ってる事柄っていったい何なんだろう。バラク・オバマが黒人だとか? 市川海老蔵のスキャンダルとか? もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだらどうなるかとか?

テレビでやってることだよと言われて「ああそうか」と思い、確かに私の情報源の大半はテレビ以外のものだ。改めて言われるまですっかり忘れていた。21世紀の最初の10年も、物知りの定義は「テレビでやってないことを知ってる人」だったのか。

ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ2010-12-05

…と言ったのは金田正太郎。

いやまさしくそんな一年だった。もう12月かと思えば時間が過ぎるのはあまりに早いが、このプロジェクトが始まってからたったの6ヶ月かと思うと…長い。あまりにも長い。家族や友人には過労を心配されているが、今のところ胃腸をやられたくらいでまだまだ健康である。この労働時間でこのくらいの疲労度だとすると、過労死する人って本当にどれだけ働いているんだろうと不思議になる。

さて週末、久々に会う友人と銀座~丸の内のフレグランスめぐり。ただのショッピングのはずが、気がついたら次から次へとセレクトショップやデパートの香水売り場を回っていた。今年の冬はALLURE HOMMEのEdition Blancheで決まりのつもりだったが、Penhaligon'sのOPUS 1870があまりにも好みでぐらっと来た。いかにもクラシックな男性向けの風情でつけこなすのが相当難しそうだったのと、本国で50GBPほどのボトルがJPY12,600という値段の問題さえなければ即買っていたかも。

香水関連で最近目にとまったのはこのニュース。香水のコピー製品が出回っているというのも面白いニュースだが、ロレアル・パリは香水を芸術の形態として分類すべきだと裁判所に報告を提出しているというのが興味深い。他のどこでもなくフランスの裁判所がどういう判決を出すのか、ちょっと興味がある。

Lifestyle Deseases2010-04-01

今月は海外出張があるのだがまだ何も準備していない。週末もあるのにガイドブックすら読んでいないV.R.M.の今週の雑感あるいはTwitterもどき。

  • ゆでたまごの爆発についてはこのページが大変おもしろく、かつ、わかりやすかった。平衡破綻型水蒸気爆発か、そうかそうか。
  • Amebreakでやってた「名盤各務塾」のVol.7では、登場する三名がそれぞれGang Starrの(というかDJ Premierの)仕事でどれがいちばん好きかを挙げる部分があって、その三枚は、それぞれが最初に聴いたPremierの仕事だということがわかる。歴史の中に位置づけたときのオリジナルと、自分が初めて聴いたのはこれだったという経験としてのオリジナル。
  • ジェレミー・クラークソンのTIMESのコラム、というか自動車レビューが面白い。BBCでやってる自動車番組の人。コラムの方はそれほどでもないが、自動車レビュー系はどれも、車への接し方の別のあり方を垣間見る思いだ。「全然知らない世界」を覗く楽しさを味わいたいならオススメだ。日本にもいるのかな、こういう人。
  • 勝間和代は残念ながら私の守備範囲から大きく外れているが、本屋で平積みされまくっているので写真だけはよく見る。この人の特徴をひとことで言うなら「顔写真を表紙に使う自己啓発本の著者」だ。確かに最近の著作を見ると、初期の頃よりは垢抜けた感がある。でもなんか、安野モヨコが『美人画報』とかやり始めた頃みたいな印象だ。おっさん向け縮小再生産というか。
  • 新しい情報と読んだことのない本が自分にとっていかに大事かよくわかった週だ。何も読まない時期がしばらく続くと、自家中毒を起こすというか、理由もなくフラストする。

Fighting Ignorance2010-03-25

歌舞伎役者の結婚話を知らないと驚かれる。でも歌舞伎を知ってても驚かれるV.R.M.の、今週の素朴な疑問集。The Straight Dopeに尋ねたいくらいだよ。

  1. ポテトチップスって何味がいちばん売れてるんだろう。湖池屋とかそういう統計出してくれてもよさそうなのにな。
  2. HIP HOPなんかでboastingってやつがある。どんなに金持ちでどんなに女にモテてどんなに強面かをときにユーモラスなくらいの比喩表現を用いて表すってやつ。あれ、ブラックカルチャーではHIP HOPに限らずよく見る要素でもあるんだが、オーディエンスは別に内容を真に受けてるわけじゃないのかね。どんな感じで受け取るんだろう。「こいつバカじゃねえの」って笑っちゃうのか「俺もああなりてえ!ていうか俺のほうがすげえ!」と自分のことのように受け取るのか「奴はマジぱねえ」と手放しに礼賛するのか。ぜんぶかな。
  3. ゆでたまごを電子レンジで加熱すると爆発する。生まれて初めて自分で食べものを加熱しようとした四歳の記憶は今でも鮮明だ。ところで、なんで爆発するんだったっけ?
  4. 音楽ガイド本なら何冊も持っているが----なぜ売り上げに言及しないのか。オフィシャルの発表だけでいいから、何万枚売れたのかを書いている本がまったくないのが不思議だ。取り上げるすべてのCDについて売上を明記した音楽ガイド本があったら、絶対に買う。全米チャートの順位しか書かない市場慣行なのか? 過去のチャートを検索できるデータベースとかWEBであったっけ?
  5. フリーフォントをいろいろ漁ってるとPictureってカテゴリがあることに気がつく。Windowsユーザならフォント選択の下の方に絵文字フォントが入っているのをご存じだろうが、あれの発展形みたいなやつ。フリーでDLできるところだとバタフライとか。これ、みんな何に使うんだろう。このFlying Opなんかは凧っぽくて思わず買っちゃいそうになり何とか思いとどまった。
    こういうの、海外のFontサイトで検索すると山ほど出てくる。ボタニカルモチーフやほんとにきれいなフォントも多い、これとか。が…何に使えばいいのか。ちなみにバタフライに関して言えば、虫に我と書く奴らのことが死ぬほど嫌いで、嫌いすぎて普通の人より詳しい私は思わずインストールした挙げ句、文字を入力した結果として表示される奴らの姿に背筋がぞっとした(バカ)。

On and On2010-02-26

職場にいる青年のひとりは見た目も育ちも頭もいい。適度な体力と一定の教育、捻れのない自尊心をベースにした優秀な人だ。

彼がちょっとだけ風変わりに見えるとすれば、仕事を仕事として大事にする代わり、プライベートには一切かかわらせないようにしているところだろう。その辺、職場のメンバーでゴルフに行ったりするような「日本のサラリーマン」社会のおじさん達とはちょっと雰囲気がちがう。いや、人当たりは悪くない。むしろその逆だ。社交的で、人から話を聞き出すのがうまく、色んな人と色んな繋がりを持ってうまくやっている。見ていて学ぶところは多い。

じゃあ何がストレンジなのかと言うと、彼が「これは仕事だから」と明言するところだ。「この付き合いは人脈のためですから」ということをあっさり口にしてしまう。「同期に友達はいない」彼にとって、友達とは「仕事を離れた」場所で付き合いのある集団のことであり、どんなに仲がよく気が合いそうに見えていても「同期の佐藤くん」や「取引先の斉藤さん」は友達ではないらしい。しかもそのことを、まさに職場で、不意に口にする。メタな発言というか、ゲーム中にルールに言及するようだというか、私などはちょっとどきっとしてしまうけど、彼自身にはきわめて自然なことなのだろう。ためらいもないし、「怖いこと言うねえ」という同僚からの反応にも無邪気に驚いてさえいた。

彼は、職場の人間関係が面倒だとか偽善的だとか言っているのではないと思う。たぶん彼の友人達との付き合いの作法は、職場の人々との付き合いの作法とそう遠くないし、穏やかに会話しながら利害関係を意識しているわけではない。でも、それが人脈のためであると認識していて、明らかな目的のために行っているものでもある。そこだけ取り出すとスイッチのオンとオフがない。そしてそれが、古典的な「会社の人とのプライベートに渡る付き合い」をよしとする男の人たちからすると、少しばかり奇異に映ることもあるのだ。彼からすれば「オンとオフがない」のは古典的な男の人たちの方なのだが、私から見ると逆だ。

After With Time2010-02-13

別に昨晩徹夜に近かったからではないと思うが、今日はえらく仕事の捗らない一日で、あまりの捗らなさに『爆笑レッドカーペット』とか観てしまった。今の時間になってから後悔しているが。後の祭りとはこのことである。私にとっても初めて見る芸人しか出ていなかったけど、一緒に観ていた家主はネタの半分は理解できないようで、まあ、それもそうかなという気がする。今はまだテレビ内世間との時間のズレがそれほどないから理解できるだけだ。家主が『ドラゴンボール』のネタを理解できないように、私にも、いずれそうやって理解できないものが増えていくんだろう。

そんな感じで仕事の合間はだらだらと本さえ読まずに過ごし、ニュースのチェックも怠っていたら、アレクサンダー・マックイーン逝去を知らせにロンドンから電話がかかってきた。Guardian紙では一面だったそうだ。Guardian紙の読者って何歳くらいなのかな、と家主のことを思い浮かべながら、最近訃報を聞いたときに習慣となりつつあるのだが、菊地成孔の速報を読みに行く。その後はYouTubeでマックイーンのショーを探していた。ファッションへの熱意を失って久しいので、世の中がこんなことになっていたのかとばかげた感慨を覚え、それは全部この二月の忙しさのせいのように思えたけど、そうではない、ただ単に離れていた時間が積み重なっただけだ。

Keep Silent2010-02-06

祖父は西洋かぶれの伊達男だった。ファッション業界に片足を突っ込んだ仕事をして、コーヒーと煙草を友達にプルーストを読むような人で、私がシックなレディになれるかどうかを心配していた。彼がときどき戯れに描いてくれたファッションイラストレーションふうのらくがきから察するに、シックなレディの理想像はココ・シャネルみたいなものだったんじゃないかと思うが、まあそれは無理にしても。言葉遣いが汚いとか、本を読むときの姿勢が悪いとか、物音を立てすぎるとか。

仕事先に耳の聞こえない女の子が結構いて、仕事で関わったことはないのだが、エレベータや女子トイレなんかで一緒になるとちょっと不思議な感じがする。職場で目にする女の子の手というと、どうしても、キーボードの上でステップを踏むような動きが連想されるのだが、ものすごい速さで交わされる手話の指の動きは、まるで綾取りの糸みたいだ。

ただし無音ではない。彼女らの幾人かは、いつも怒っているかのような音を立ててドアを閉める。いつも苦しそうな呼吸音が聞こえる女性もいる。あるいは小さな唸り声。物音はたぶん、耳の聞こえる人より多いんじゃないかと思う。

当たり前か。もし、彼女らの世界に、音がないのなら。

彼女らが抱えている障害がどういうものか詳しいことはわからないが、音がない世界にいるのなら、上品であることの条件に「音を立てずにごはんを食べる」ことは含まれないだろう、きっと。交わされる手話の指の反り方や表情の示し方で、上品さやシックであることが達成されるのだろう。もし私の耳が聞こえなかったとしても、祖父は、足音が大きすぎると私をたしなめただろうか?

金曜日の夕方、女子トイレでコンタクトレンズをはずしながら(長い夜への備えだ)、乱暴に閉められたドアを見送って「かわいい子なのになぁ、おい」と思ってから気がついた。彼女は耳が聞こえないのだ。ひどく不当なことを言ったように感じた。だけど耳の聞こえる私は、物音の大きさを品がないことと思う文化に育ち、そのように教育され、それを切り離すことがもはやできない。一瞬どうしたらいいのかわからなかった。

Something New2010-01-02

高校時代からの友人の家に晦日から元旦にかけて泊めてもらったら、初めてのことばかりでした。

まず、生まれて初めて紅白歌合戦を見ました。ちょこっとだけだけど。いやー知らない人ばっかりだった。Perfume初見、スーザン・ボイルの出演も初耳、東方神起って人々が日本語ネイティブでないけど日本語で歌うというのも知らなかった。それから蕎麦を食べました。大晦日に蕎麦を食べたのも生まれて初めてです。さらに初めてなことは、正月三が日には祝い箸を使うという風習が日本にはあったのですね。びっくりして「このお箸なに?」と尋ねてしまった。そういえばお屠蘇も飲んだことが。

常に新しいことがあるものだ。ハッピー・ニュー・イヤー。

10 Years of the Modern Caste2009-12-14

久々にラメの大きいマニキュアを塗ったら、ラメがきらきらゴミのように感じられる。色が悪いのかな…。

何でマニキュアなんか塗っているのかと言えば----ってもう最近マニキュアなんて単語を使う同世代の女性を知らないが----昨年転職した先の新しい会社では、女の子がこれはもう隙なくきれいだからだ。そんなに派手じゃないし流行そのものでもないが、ぱりっとしたきれいな服を着て、背が高くすらりとして、からっときれい。な人が多い。みんなSEに見えない(が、同じ転職組の女性陣に聞くと「この会社の女の子、みんな地味だよね」であったりする。石田衣良の小説にでも出てきそうな風情で、悪くないと思うんだがな)。ともかく、うわやべーと身なりを気遣おうとする気持ちの表れが爪である。

 女子アナを身分制度の第一級に置くと、なんだかとんでもなくへんな現代社会が現れる。女子アナの下にいるのは、「フリーのアナウンサー」や「レポーター」や「アナウンサー志望の女の子」ではない。女子アナウンサーの下に続く身分は、「CMに出る女の子」である。CMに出れば、写真集が出せてCDも出せる。現代娘の栄耀栄華はこれに極まる。勉強の嫌いな子には、四年制大学へ行って女子アナになる道はないのだが、高校や中学の在学中にCMに出られれば、すべてはチャラである。勉強が嫌いでも、大企業との接点が持てるという点で、「CMに出る女の子」は現代カースト社会の上位者なのである。
 この二十世紀最末葉の現代社会で最も重要なステイタスは、「大企業とつながっている」ということである。(後略)

橋本治著『ああでもなくこうでもなく』第二六回「学校では教えてくれないこと」より

…ここだけだと、わかるようなわからないような話だが、仕事で銀行さんとか大企業に行くと、まあ女の子はみんなきれいだわな。橋本治の書く「いい学校を出ていい企業の正社員になる」が一級コース。「いい学校は出てなくても大企業の看板になる」は准一級コース。お出入りのパートや中小企業の社員はランク外ということなのである。というのは、出入りのエンジニアとして現場に赴く身からすると、わからんでもない。で、さらにSEの中でも、大手のSEさん達はきれいな人が多いのであった。中堅企業から転職してきた私は、そのことにさえ驚くわけだが、驚くことにさえ驚かれる。

どうでもいいことだが、今日はニュースで討ち入りの話をひとことも聞かなかったと家主が言っていた。橋本治の『ああでもなくこうでもなく』はもう十年前の本だが、そこに書かれた現代カースト社会は変わらなくても、討ち入りの日は忘れられたらしい。