oh lordy, trouble so hard2008-05-19

モハメド・アリの数ある名勝負の中でも、1975年マニラでのジョー・フレイジャー戦がいちばん好きだ。

1964年の東京オリンピック、最初は代表であるバスター・マシスのスパーリングパートナーとして来日したフレイジャーは、スパーリング中にマシスが指を骨折したことで急遽代表になり、自身も親指を骨折しながら最後まで隠し通して金メダルを獲得する。1965年にはプロ入りし、70年にはヘビー級の王者になった----ただしこの時期、アリはリングにいない。1967年ヴェトナム戦争への徴兵を拒否したアリは、無敗のチャンピオンのまま、キャリアの絶頂期にライセンスを剥奪されていたからだ。復帰までに四年。戻ってきたアリとフレイジャーが、無敗のチャンピオン同士で対決したのが1971年のことだ。スターはアリの方だった。
蒸気機関車のように突進するところから"スモーキン"とあだ名のついたフレイジャーは、アリを負かした最初のプロボクサーになったが、自身も負傷して一ヶ月も入院したらしい。72年にはビッグゲームなし。73年にはジョージ・フォアマンにノックアウトされてタイトルを奪われ、アマチュア時代からフレイジャーのトレーナーを務めたダーハムがこの年の夏に死んでいる。74年、アリとの二回目の対戦では判定負けした。

モハメド・アリは、詩才はないにしてもよく口が回った。試合前のパブリシティではフレイジャーがひとこと喋ろうとするたびに挑発的に文法を訂正、フレイジャーをゴリラと揶揄した挙げ句、ゴリラのぬいぐるみを殴る真似までした。不器用なフレイジャーは傷つき、怒り、しかし言い返せず、こう言ったと伝えられている。
豚がエサをほしがるように、私は彼がほしいよ。

ところで、アリの医者だったファーディ・パチェコの書いた"The 12 Gratest Rounds of Boxing"にもスリラ・イン・マニラの話が登場するが、この本には、フレイジャーのこの有名なせりふが登場しない。代わりにこんなふうに書かれている。「今はああ言ってるが」とジョーは言った。「時が来てドアをノックする音が聞こえる頃には----リングに上がろうとする頃には、私とやるのがどういうことかを思い出すだろうよ。どんなに辛くて長い夜になるかをな」

どちらにしても、フレイジャーにとってアリは、振り切ろうとして振り切れない影を落とし続ける存在だったはずだ。そしてアリのようなパフォーマンスもフレイジャーにはできない。素朴で口べたで率直で、反論の仕方だって知らない、闇雲に突進するばかりのスモーキン・ジョー。
ここではスリラ・イン・マニラの結末は書かないが、この話の苦い終わり----いやまだ終わってはいないが----を知りたいならば、『対角線上のモハメド・アリ』を読むといい。アリが対戦した十六人のボクサーへのインタビューを集めたこの本に登場するジョー・フレイジャーは、いまだに傷ついているのだ。長い引用になるけど書いておこう。

「あいつのことなど、何も気にしちゃいない」。そうフレージャーは答えた。「だが、一つだけわかっていることがある。あいつの方は、俺のことを考えているってことさ。あいつは、毎朝ベッドを離れると同時に俺のことを考えるのさ」。彼が言及しているのは、アリの患う病気についてだ。パーキンソン症候群のことである。あの病気の原因の一つに、フレージャーの左フックを受けたことだとする説があるのである。

バチェコの本に書かれたスリラ・イン・マニラの後日談を読むと、案外バチェコならそう言ったんじゃないかと邪推したくなる。そしてこうだ。

確かにそれは、フレージャーを苦しめた。はらわたが煮えくり返っていた。彼は、反論する代わりにリングの上で重いパンチを叩き込み続けた。もし、それによってアリの健康状態が壊滅的に損なわれ、いまになってフレージャーから中傷の嵐を浴びせられているとすれば、これぞ皮肉中の皮肉である。だが、誰がそんな中傷を聞きたがるだろう?物静かな聖人だと想われていた人物は実は全くそうではなかったなどということを、誰が知りたがるだろうか? 尽きることのない、言葉にならない憎しみの声を聞きたがる者などいただろうか? 善良な人々、教養のある人々、そして繊細な人々ならば、こんなことは言わない。相手は、病魔に冒された悲劇的人物なのだ。最終的にジョー・フレージャーは、自分のことばかり話すようになった。そして人々は、それにうんざりしたのだった。

言わねばならなかったことを言うべきときに言えなかったジョー・フレイジャーの左フック。けどそれにしては、簡潔でぞっとするようなセリフじゃないか。"like a hog wants slop"

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