The World Cup Melancholy ― 2010-04-03
サイモン・クーパーの『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』が面白すぎ。サイモン・クーパーは優れたサッカージャーナリストで、サッカー自体にさほど熱心でなくてもサッカーを取り巻く諸々に多少の関心がある人ならば必読だ。私が最初に読んだのは『サッカーの敵』だった。これは世界各国でサッカーを取り巻く政治的な思惑や経済的な裏側をじっくり描いた読み応えのある本で、世界各国を飛び回るために紀行文的な面白さもあった。今回の『「ジャパン」はなぜ負けるのか』は経済学者のステファン・シマンスキーとの共著で、各種統計データを元にサッカーの色んな側面を分析しており、目から鱗が落ちまくる上、サッカーだけでなくスポーツビジネス全般の話として読める箇所もいろいろある。『ヤバい経済学』や『その数学が戦略を決める』からこっち流行の統計データを元にした分析本でもあり、行動経済学と統計の本は流行りすぎてちょっと食傷気味だったところに、久々のヒット。というところもある。まあとにかくオススメですよ。値段も安いし(この文章を見ていない同僚に向かって声を大にして言いたいが、ハードカバーでこの量なら2,100円は安いんだ!)。
この本の第11章では「ワールドカップのしあわせ」と題してワールドカップがもたらすとされる「経済効果」について非常に現実的かつ辛辣な分析を繰り広げており、章の最初と最後では南アフリカの黒人達の「いつか俺たちを豊かにしてくれる誰かがやってくる」という幻想が語られる。2010年のワールドカップが南アフリカにどれだけの経済効果をもたらすかと言うと…まあ、この十年くらいで常識として認知されるようになったことだが、経済効果なんてほとんどないわけだ。そこで『インビクタス』ですよ。
『インビクタス』は創作欲が衰える気配のない今や最強の監督イーストウッドの最新作で、南ア大統領となったネルソン・マンデラが、世界的に見たら弱小チームのラグビー南ア代表を励まして、結果、南アで開催されたラグビーW杯において優勝、歓声がスタジアムを揺るがし国中がひとつになる…という実話を元にした映画だ。ちょっと地味ではあるんだけど、"Invictus"という一篇の詩がもたらす力を静かに強く描いている。往来で浮かれ騒ぎパブのテレビを食い入るように眺める、肌の色の違う人々。ただ、その後の南アの状況は決してトントン拍子に行っているわけではなく、経済的な格差も解消されたとは言い難いし、犯罪率の高さは今でもトップクラスだ。そして2010年W杯。イーストウッドはなぜこのタイミングで『インビクタス』を撮ったんだろう? 今年のW杯のことを念頭に置いていなかったはずがない。
クーパーとシマンスキーによれば、日本と韓国で共同開催されたW杯の視聴率はヨーロッパで大変に悪く、というのも時差がよろしくなかったと。南アなら季節は逆でもさほどの時差はないから、視聴率を稼ぐという観点からはありがたい。一方で、W杯だのオリンピックだのはとかく「莫大な経済効果をもたらす」として誘致されるんだけど、実際には借金と無駄な施設ばかりが残ることは目に見えていて、深刻な貧困問題を抱える南アのような国に魔法をかけてくれることはない。
ところで、映画『インビクタス』は経済問題についてはまったく触れず、人種を問わずひとつの国として困難を乗り越えていこうという希望で終わった。それで現実を見れば、"Invictus"はある瞬間国民をひとつにしたかもしれないが、失業率は変わらなかった。観客はすでにそのことを知っている。ネルソン・マンデラが監獄で過ごした27年間の月日の中で一条の光となった詩の言葉、その背後にあった圧倒的な闇こそが、あの映画を成立させているものだーーーと、映画を観た直後は思ったけど、この本を読んでそれだけではないのだと気がついた。映画はそこで終わるが、1994年のラグビーW杯のその後が南アにはあったのだ。映画で描かれないその後は一篇の詩の無力さでもあるだろう。『インビクタス』は本当は、それも込みで観るべき映画だったんじゃないかという気がしてならない。限りなく偉大で、どうしようもなく無力な、魂の指揮官の詩だ。大統領を辞して十年が過ぎたマンデラは、どういう気持ちでこの6月を待っているのだろう?
ガチで潰された ― 2009-06-16
三沢光晴が死んだ?
…と、昼食後にインターネットしながら呟いたところ「今ごろ知ったんですか」と驚かれた。単に次は『レスラー』かなと思って検索かけてただけだったんだが、そのまま絶句してしまった。
あわてて検索したのは町山智浩と菊地成孔。町山智浩なら絶対に何か言っていると思ったし、菊地成孔の『サイコロジカル・ボディ・ブルース』はこれはもう、格闘技(批評)がこんなに面白いなら早く言ってくれ、というような本だったのだ。
町山智浩が「映画『レスラー』は箱舟の船長へのテン・カウント」と題したエントリーをしている一方で、菊地成孔の「速報」がこれがまたすごい。引用すると、ワタシは正に愚直に、確信に満ちて、三沢選手とテッド・タナベ・レフェリーは、ミッキー・ローク/ダーレン・アレノフスキーの「ザ・レスラー」を命がけのガチで潰しにかかったのだ。と、心から信じています。ワタシの予想では、三沢選手はあの映画を観ている筈です。そして、公開日に、まるであの映画をノックアウトするようにして亡くなったのです。
二つ記事を読んでやはり言葉がなかった。もう、私を含めてこれから『レスラー』を観る日本人は全員、ってほとんどの人がそうなのだと思うが、三沢のことを頭から追い出してこの映画を観ることはできないだろう、ということだけは確かだ。
詩人にはなれない ― 2009-06-09
「どうしてボクサーになったのか」と尋ねられて「詩人にはなれない。物語を語るやり方を知らないから」と答えたボクサーがいる。バリー・マクギガンというイギリスのフェザー級のボクサーで、1960年生まれ。…ということはもちろん、この台詞はモハメド・アリを念頭に置いているのだ。実際、アリの詩は詩などと呼べるものではなかった。60年のローマ五輪で金メダルを獲ってプロになったばかりの、キャリアがまだ浅かった頃のアリは、メディアの注目を集めるために詩(のようなもの)を試合前に読み上げてみせたのだ。対戦相手が"hit the floor, in the round four"みたいな、かろうじて韻を踏んでるだけの代物だった。
帰宅したら、BSハイビジョンでスリラ・イン・マニラを、1975年マニラ、モハメド・アリ対ジョー・フレイジャーの三度目の対決を特集した番組をやっていて驚いた。それでこれを書いている。
この試合でのアリは驚くほど動かないので、初めて見たときにはちょっと意外に思った。もっと軽やかにステップを踏むのかと思っていたのだ。だってモハメド・アリといえば"Float like a butterfly, sting like a bee"ではないか。でも、75年のモハメド・アリはすでに32歳で、試合のあいだじゅう華麗なフットワークを駆使することはできなかった、と今は知っている。さて、モハメド・アリが"Float like a butterfly, sting like a bee"と言ったのは、いったい何歳のときだったのだろう。60年代の初めだったことには間違いない。ソニー・リストンを倒した頃かな。
テレビ番組では、今は自分のジムで寝泊まりしているというジョー・フレイジャーが映し出され、当時の試合についてコメントを残していた。それを見ていて、フレイジャー戦がテレビ的にはいちばん無難なんだろうなーと穿った感想が頭をよぎった。
アリの最初の大きな勝利であるソニー・リストン戦は、こんなふうに特集することはできないだろう。ソニー・リストンも偉大なヘビー級ボクサーで、ビリー・ジョエルのヒット曲"We Didn't Start the Fire"には「リストンがパターソンを倒した」という出来事が出てくるくらいだが、1971年の年明け早々、ラスベガスの自宅で死んでいるのを発見された。警察当局は死因をヘロインのオーバードーズだと結論づけたが、リストンは先端恐怖症というか、針を怖がっていることで知られていたことや、その少し前に自動車事故を起こしていたらしいという話もあって、実際は違ったんじゃないかとも言われているが。「伝説の名勝負を当時を知る人の証言とともに再現」なんて番組で放送できる内容じゃないんだろうな。「キンシャサの奇跡」を戦ったジョージ・フォアマンだったら40歳でのカムバックに触れないわけにいかないだろうし、そうするとフォアマン自身を主役に据えた方が番組を作りやすい。一度目の対戦でアリの顎を骨折させ、二戦目で判定負けしたたケン・ノートンもいるが、引退後に交通事故に遭って確か右半身不随じゃなかったか。わかりやすく感動するにはちょっとつらい。
誰もいない小屋 ― 2008-06-10
シュガー・レイ・レナードが、引退して五年も経ってからマーヴェラス・マーヴィン・ハグラーと戦うために復帰したとき、周囲は止めたらしい。
ミドル級のハグラーにウェルター級のレナードが挑戦する、しかも、網膜剥離で引退したレナードがだ。止めるのも当たり前だろう。頼むからよしてくれと友達に言われたレナードの答えを、最近、よく思い出す。
そんな試合を見たくないと言うのなら、誰もいない空き小屋の中でいい。俺はハグラーと戦いたいんだ。
…と書いたらすっきりした。今週もまだ半分以上残っている。仕事しよう。
oh lordy, trouble so hard ― 2008-05-19
モハメド・アリの数ある名勝負の中でも、1975年マニラでのジョー・フレイジャー戦がいちばん好きだ。
1964年の東京オリンピック、最初は代表であるバスター・マシスのスパーリングパートナーとして来日したフレイジャーは、スパーリング中にマシスが指を骨折したことで急遽代表になり、自身も親指を骨折しながら最後まで隠し通して金メダルを獲得する。1965年にはプロ入りし、70年にはヘビー級の王者になった----ただしこの時期、アリはリングにいない。1967年ヴェトナム戦争への徴兵を拒否したアリは、無敗のチャンピオンのまま、キャリアの絶頂期にライセンスを剥奪されていたからだ。復帰までに四年。戻ってきたアリとフレイジャーが、無敗のチャンピオン同士で対決したのが1971年のことだ。スターはアリの方だった。
蒸気機関車のように突進するところから"スモーキン"とあだ名のついたフレイジャーは、アリを負かした最初のプロボクサーになったが、自身も負傷して一ヶ月も入院したらしい。72年にはビッグゲームなし。73年にはジョージ・フォアマンにノックアウトされてタイトルを奪われ、アマチュア時代からフレイジャーのトレーナーを務めたダーハムがこの年の夏に死んでいる。74年、アリとの二回目の対戦では判定負けした。
モハメド・アリは、詩才はないにしてもよく口が回った。試合前のパブリシティではフレイジャーがひとこと喋ろうとするたびに挑発的に文法を訂正、フレイジャーをゴリラと揶揄した挙げ句、ゴリラのぬいぐるみを殴る真似までした。不器用なフレイジャーは傷つき、怒り、しかし言い返せず、こう言ったと伝えられている。
豚がエサをほしがるように、私は彼がほしいよ。
ところで、アリの医者だったファーディ・パチェコの書いた"The 12 Gratest Rounds of Boxing"にもスリラ・イン・マニラの話が登場するが、この本には、フレイジャーのこの有名なせりふが登場しない。代わりにこんなふうに書かれている。「今はああ言ってるが」とジョーは言った。「時が来てドアをノックする音が聞こえる頃には----リングに上がろうとする頃には、私とやるのがどういうことかを思い出すだろうよ。どんなに辛くて長い夜になるかをな」
どちらにしても、フレイジャーにとってアリは、振り切ろうとして振り切れない影を落とし続ける存在だったはずだ。そしてアリのようなパフォーマンスもフレイジャーにはできない。素朴で口べたで率直で、反論の仕方だって知らない、闇雲に突進するばかりのスモーキン・ジョー。
ここではスリラ・イン・マニラの結末は書かないが、この話の苦い終わり----いやまだ終わってはいないが----を知りたいならば、『対角線上のモハメド・アリ』を読むといい。アリが対戦した十六人のボクサーへのインタビューを集めたこの本に登場するジョー・フレイジャーは、いまだに傷ついているのだ。長い引用になるけど書いておこう。
「あいつのことなど、何も気にしちゃいない」。そうフレージャーは答えた。「だが、一つだけわかっていることがある。あいつの方は、俺のことを考えているってことさ。あいつは、毎朝ベッドを離れると同時に俺のことを考えるのさ」。彼が言及しているのは、アリの患う病気についてだ。パーキンソン症候群のことである。あの病気の原因の一つに、フレージャーの左フックを受けたことだとする説があるのである。
バチェコの本に書かれたスリラ・イン・マニラの後日談を読むと、案外バチェコならそう言ったんじゃないかと邪推したくなる。そしてこうだ。
確かにそれは、フレージャーを苦しめた。はらわたが煮えくり返っていた。彼は、反論する代わりにリングの上で重いパンチを叩き込み続けた。もし、それによってアリの健康状態が壊滅的に損なわれ、いまになってフレージャーから中傷の嵐を浴びせられているとすれば、これぞ皮肉中の皮肉である。だが、誰がそんな中傷を聞きたがるだろう?物静かな聖人だと想われていた人物は実は全くそうではなかったなどということを、誰が知りたがるだろうか? 尽きることのない、言葉にならない憎しみの声を聞きたがる者などいただろうか? 善良な人々、教養のある人々、そして繊細な人々ならば、こんなことは言わない。相手は、病魔に冒された悲劇的人物なのだ。最終的にジョー・フレージャーは、自分のことばかり話すようになった。そして人々は、それにうんざりしたのだった。
言わねばならなかったことを言うべきときに言えなかったジョー・フレイジャーの左フック。けどそれにしては、簡潔でぞっとするようなセリフじゃないか。"like a hog wants slop"
BIRD IS FLYING ― 2007-06-09
さらに見てみると、2000年代に入ってからというもの、ドラフトでの一位指名は高校生がすごく多い。時代は変わっていたのだな…かつては大学でプレイしてからNBA入りする選手の方が圧倒的に多かったのが、優れた選手は高校から即NBA入りするケースの方が増えていたわけだ。
ドラフト参加の年齢を制限したということは、大学卒→高校卒というこの流れにストップをかけたかった、ということだろう。これは面白い。
ちょっと話がそれるけど、昔は結構考えていて、上のニュースを見るまですっかり忘れていたことを書く。
球技をいくつかにカテゴライズすると、バスケットボールはサッカーと同じカテゴリに分類される。敵陣があって、自陣があって、敵のゴールにボールを入れたら点が入る。
そうでない球技の代表的なものとして、アメリカ的なものというカテゴリがある。野球とアメリカン・フットボールだ。共通するのはルールの複雑さと、攻撃/守備がターンとして別れていることか(アメリカン・フットボールは「相手のゴールに点を入れたら勝ち」なところもあるけど)。
この区分の違いは結局、アメリカ的なものにカテゴライズされるスポーツの特徴だと考えていた。何かというと、フェアネスという概念のアメリカ的なありようだ。フェアネスのルール的な保証としての、野球の攻撃/守備の分離。フェアネスの遂行的なあり方としての、アメフトの審判の反則のコール。アメリカ的なあり方は、解釈に幅があったり判例法ぽかったり審判個人に依存したりすることを許さないものとして結実したのではないか、と。
で、それとは違うもうひとつの疑問。アメリカのプロスポーツを見てみると、すぐに思い浮かぶのは、野球のMLB、アメフトのNFL、バスケットボールのNBA、アイスホッケーのNHLといったところ。この四つを並べてみたときの、スポーツとしてのそれぞれの特徴は何だろう?
この疑問には暫定的な答えも出せなくて、そのまま放置していた。とりあえず上記の分類にしたがえば、前の二つが「アメリカ的」、後ろ二つは「サッカー型」ということになる。
…と思っていたのだが、違っていたような気がしてきた。
アメリカのスポーツが持つアメリカ的な資質としてのフェアネス、はやっぱり存在するように思う。けどそのフェアネスの内実が問題だ。それは「サッカー型」にカテゴライズしていたサッカー/バスケットボール/アイスホッケーを較べてみて明らかになる。
攻撃/守備がターンごとに別れていることより優先する条件として、審判が複数いて、メンバー交代に人数制限がないこと(この点は野球についてはよくわからないが)、私はこの二つを見落としていた。審判が複数いるのはサッカーでもそうだけど、主審がひとりだけ「時間を計る」という絶対的な特権を握っているのに較べて、アメフトの審判はことあるごとに寄り集まっては合議の結果をコールする。裁判官と陪審員の差。
ここで話は、ようやくNBAのドラフト参加が十九歳に引き上げられたことに戻る。
今回のレギュレーション改定って要するに、大学で一年間プレーすることをNBAの義務教育とするってことではないか。
もうひとつの疑問の方、MLB、NFL、NBA、NHLと四つ並べてみたときのバスケットボールというスポーツの特徴は、持って生まれた身体的能力でカバーできる範囲の広さではないかと思う。バスケットボールを題材にとった面白い映画の数少ない記憶を辿るとその題名は”White Men Can't Jump”なのだ。走れて飛べて速いこと。高校のレベルが高いと言ってもたかが知れているだろうし、そこでは、身体能力が持つアドバンテージはNBAに較べてはるかに大きいのかもしれない。高校卒の若者をすぐにプロ入りさせることはその特徴を際だたせ、それによる弊害が明らかになってきたのかもしれない。
ラリー・バードのことを思い出した。ボストン・セルティックスの33番、インディアナ州出身の白人で、走れないし飛べないし速くもない、しかしベストだと言われたスモールフォワードだ。大学時代に始まるマジック・ジョンソンとの因縁の対決でも有名だ。マジック・ジョンソンがノールックパスなら、ラリー・バードはクールなスリーポイントと広い視野、常に相手より一瞬速い状況判断だった。
別にラリー・バードだって、好きこのんで「走れないし飛べない」なんて言われてたわけじゃないだろう。できることならそうしていたんじゃないだろうか。では、もし彼が走れて飛べて速い男として生まれついていたら、ラリー・バードになったんだろうか?
高校卒業後の一年間が義務教育みたいなものならつまり、NBAは将来有望な高校生達に「何かを学べ」と言っていることになる。卒業後すぐにプロ入り可能なレベルの能力を有する高校生達に学ぶべき何かがあるとしたら、それはやっぱり、ラリー・バードにあって高校生達にない何か、ではないかと思うのだ。
蛇足。書いていて懐かしくなって、ラリー・バードの昔の映像を集めたビデオを観ていたら、バードのファンが”BIRD IS FLYING”と書いたカードを掲げている場面があった。そうか、飛べないがしかし史上最高のスモールフォワードだった男は、Birdって名前だったんだな。
右腕の青いたてがみ ― 2007-06-08
今年のファイナルはスパーズ対キャヴスで、これはもう王者スパーズと挑戦者キャヴスという構図だ。スパーズのエースはティム・ダンカン、97年のルーキーだからもう十年が経つのか…ちょっと時間の流れに呆然としてしまった。さておき、スパーズ王朝の献身的な王者である。がたいがよくて、真面目で、安定している。一方のキャヴスのエースがレブロン・ジェームズ、ほとんどのNBA選手が大学卒である中で、高校卒業後十九歳でNBA入り、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
このレブロンが入ったおかげでぱっとしなかったキャヴスが一気に注目チームになり、四年目の今年はとうとうNBAファイナルというわけだ。そのレブロンはスパーズの執拗なディフェンスに見事にシャットアウトされてしまった。
そのレブロン・ジェームス、すーごく久しぶりに見たのだが----NBAはあんまり見ないので----両肩から腕にかけて青っぽい刺青を入れていて、右手に至ってはほとんど手首近くまである。おお、肩だけではなくてこんなにたくさん入っていたとは。ていうか増えてる? 前からこんなに埋め尽くされてたっけ? …で、これも仕事中に検索してみたら、2005年に「毎年新しいのを入れていくつもりだよ」とか言っているニュースが見つかった。
…いや本当に申しわけないのだが、強引に行こうとしては阻まれ全然シュートを決められない試合を見た後だったせいだろうか。一瞬、『天牌』の伊藤が気合いを入れるために彫っていた背中の刺青を思い出してしまった。
ジェームスは評価もすごく高いし、二十二かそこらでチームをNBAファイナルまで導いたのはすばらしい功績だし、引き合いに出されるのはかのマイケル・ジョーダンだったりする。一方で、何となーく勝負どころに弱いという印象が拭えない。顔つきもときどき不意に幼く見えて、しかも今日のような試合のときなど、在りし日のマックス・ビアッジが頭をよぎってしまうのだった。比較対象が肩のあたりに盤石さを感じさせるティム・ダンカンだったので余計に、こう。
…やだなあ、続きが気になる。
波に乗る人々 ― 2007-06-03
一方で、たとえば同じ定型詩の中でも、和歌はグリーティングカードだった。俳句は、季節が変わる予兆を真っ先に見つけて楽しむ遊びだった。都々逸はちょっと酔っぱらった雰囲気で色恋沙汰を歌い、川柳は形式からも検閲からも自由であることを志すようなものだった。また大仰な言い方だけど、それが人間の暮らしの中にあるということで果たす役割のようなものがあり、それらは、よく似たジャンルでもちょっとずつ違うはずだ…と思う。
カイト・ボーディングのことを考えているのである。
凧揚げの関連で海外のWEBサイトを検索していくと、遠からずカイト・ボーディングにぶち当たる。波乗りに凧を組み合わせた遊びで、凧と言っても奴凧を思い浮かべてはいけない。ちょっとパラシュートまがいの見た目をしている。これを揚げて引っ張られながらサーフボードみたいな板に乗る。
カイト・ボーディングをやってみたいんだよね、とウィンド・サーフィンをやる同僚に言ってみたところ、「俺も一度やろうかと思ったんだけど、みんなに『あんなのやめとけ』みたいなこと言われた」という返事がかえってきた。…まあ確かに、ウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングは、数多いマリンスポーツの中でもいかにも競合しそうではある。
しかし…たとえばサーフィンとウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングではどれもちょっとずつ違うはずなんじゃないの。俳句と川柳が違うみたいに。
和歌と俳句と都々逸がどれも日本語をうまく操る能力が必要とするように、サーフィンでもウィンド・サーフィンでもカイト・ボーディングでも、最低限必要とされる能力の質はおんなじだ。でも和歌と俳句と都々逸が違うようには、こうしたマリンスポーツの違いは明らかではないように思われる。
それはもちろん、私がマリンスポーツに無知だからなのだが----あんなの基本的にはやってなんぼのものである。やらずにマリンスポーツについて考えたりする私の方が珍しいかもしれない----サーフィンについて書く人が少なからずいる中で、その他のマリンスポーツについて実践的な本以外のものを書く人はとても少ないのである。まあ、サーフィンは板きれ一枚の単純さ故に歴史が古く、費用もそれほどかからず、結果としてプレイヤーの数が多いのに較べて、その他のマリンスポーツは新しいしお金かかるしでメジャーになりきれないのが大きいだろう。サーフボードは20,000円くらい出せば安いのが買えるが、カイト・ボーディング一式は100,000円くらいかかる。(あ、ヨットは別。アーサー・ランサムがいるし、浜辺じゃなくて沖合まで出られそうだし)
このことを調べてみたいなーと思っていて、今考えている方法は、それぞれのスポーツのプレイスポットとなっている土地をマッピングしていけばどうだろう、と。サーファーの聖地はオアフ島ノースショアなんでしょう? ノースショアにはノースショアの地理的な特性と、波の動きがある。ウィンド・サーフィンやカイト・ボーディングの聖地はまた違った波を持っているのではないかと思うのだ。
要するに、それらをプレイできる海岸の分布を色分けしていったら、場所の特性として違いが浮かび上がってくるのではないかと思っている。違うのはスポーツとしての性質ではなく、それが可能になる場所の性質なのではないかと。
NIGHT ROTA/POINT BREAK ― 2007-02-19
出勤までの時間、買ったままになっていた『ハートブルー』を流している。1991年の映画、公開時のコピーが「銀行強盗とサーフィンに命をかけてもいいかもしれない。」 映画本編は今見ても遜色ない面白さなのだけれど、特典映像の予告編はものすごく古くさく感じる。ここ十五年で変わったいちばん大きなことは予告編の作り方なのかもしれない。
キアヌ・リーヴス演じる新米のFBI捜査官ジョニー・ユタがL.A.に着任し、最初の仕事が元大統領のマスクをかぶった強盗団の捜査。犯人はサーファーだという相棒の推理にしたがって、ジョニーはビーチに潜入することになる。そこで美しい女性サーファーのタイラーやカリスマ的サーファーのボーディ(何とbodhisattvaの略)と出会い、次第にサーフィンの魅力に取り憑かれていくのだが…という話。
『ワイルドスピード』がまったくこれと同じ話で、存在を知られてはいるけれど実態は知られていない若者文化に関わる犯罪事件が起き、若い捜査官が潜入捜査を開始するんだけど、その過程でカリスマ的な存在に出会って、かつその文化そのものの快楽にはまってしまい、捜査する者と容疑者の立場でありながら次第に惹かれていってしまう…という。あらゆる若者文化はこの定型で映画化できそう。
何となく気になったこと。
『ハートブルー』のジョニー・ユタは、かつてオハイオ州立大学の名クォーターバックだったのだけど、膝を傷めてプロを諦めたという過去を持つ。ボーディといちばん最初に遊ぶとき、サーファーたちは浜辺に車を並べてヘッドライトをともし、アメリカン・フットボールをして、そこでジョニーは昔取った杵柄をを見せることで、サーファーたちからちょっとだけ存在を認められるのだ。それで思い出したのが『ブルー・クラッシュ』。こっちはハワイで生まれ育ったアン・マリーという女の子のサーフィン青春ものなのだけど、そこで彼女が出会って恋に落ちるのが、アメリカ本土から遊びだかキャンプだかに来ているフットボールチームのクォーターバックなのだな。
…何でアメリカン・フットボールなんだろう。海のそばで生まれ育ったかわいい女の子がQBにサーフィンを教える…ってアメリカ的にはすごい美味しいファンタジーなんだろうか。サーファー文化が何かのアウトサイドに片足踏み出しているとしたら、完璧なインサイドがアメリカン・フットボールか?
そういえば、黒人のQBも少ないが、黒人のサーファーって表に出てこないような気がする。サーフィン雑誌を見ていても、白人以外だとポリネシアやミクロネシアの人たちはいろいろ出てくるし、ブラジルっていうのも見た覚えがあるが、黒人サーファーのかっこいい写真ってあんまり見ない。同じL.A.にいるはずだけど、サウス・セントラルの若者文化というと、いちばん最近で『RIZE』だろうか。ビーチで波に乗る奴らと、ガレージで道ばたで踊る奴ら。文化圏が違うのか?
二十四にして落日を見た男 ― 2006-08-22
私はとりたててボクシングに詳しいわけではありません。むしろここ一年かそこらのことです。が、モハメド・アリやジョージ・フォアマンを知ったときには、すでに引退していたり「奇跡のカムバック」を果たした人であったりで、その点マイク・タイソンについてはリアルタイムで知るという点でちょっとちがいます。ただし、タイソンが現役で新聞を騒がせていた頃には、特によいイメージは持っていませんでした。タイソンの詳細はボクシングより暴力沙汰で知る方が多かったですし、そのころには、ばかなスポーツマンなんて最悪だと思ってましたから。
でもこれを読んだらマイク・タイソンを観てみたくなろうというものです。近所の古本屋の店先で偶然見つけ、そのとき何でだか買おうと思ってしまった本でした。
スラムのすれっからしが、あっという間にお坊っちゃまになって、そしてまた一人ぼっち。周りには、緑色の札束がひっきりなしにこすれあい、ガサガサと音を立てているが、心の師匠は死に、無二の親友と別れ、そして惚れて一緒になった恋女房には逃げられた。カネはほどほどにあればすばらしいが、限度を超すとひたすら苦労のタネとなる。そばに寄ってくる人々が、ことごとくカネ目当てに見えてきて、心の休まるときがない。
佐瀬稔『彼らの誇りと勇気について[感情的ボクシング論]』の中の、「ハロー、マイク」からの引用です。マイク・タイソンは、たった二十二歳やそこらで、身動きのできないところまで来てしまっていた。
マイク・タイソンがなぜあの頃ああももてはやされていたのかといえば、あまりにも急激にのぼりつめて、それよりも速いスピードで転がり落ちていったからだったのか、と思って腑に落ちました。そのマイク・タイソンがPRIDEとやらに出場するのなら、私ははじめて、本当にリアルタイムでマイク・タイソンを見る機会に恵まれるのかもしれません。そこでは、名コーチ故カス・ダマトの教えを忠実に守る少年の姿を見ることは決してないでしょうが、どれほど落ちぶれていたとしても、かつて何かを得てそして失ったマイク・タイソンというひとがどんな姿で出てくるのか、恐いけれど見たいと思わずにおれません。
そういえばこの本の中に、甲子園についての言及がありました。時事ネタですしちょっとだけ引用してみます。
甲子園に出てくるほどの選手は、みなこの国のスポーツ・エリートたちだ。どんなスポーツをやっても、ある程度の成功をおさめられるだけの素質のある少年の多くが、まず野球に吸い寄せられ、厳しい淘汰を経てレギュラーになり、県予選に勝ち抜いてくる。
(中略)
ボクシング場で見る風景はまったくちがう。四回戦ボーイたちは、素質のあるなしに関係なく、胸にやみくもな向上心だけを抱えてジムの扉を叩く。みずから働いて得たカネでジムに月謝を払い、バンデージを、トランクスを、シューズを買う。
今ではだいぶ様変わりして佐瀬稔が書いたほどの落差はないかもしれません。しかしボクシングにはどれほど騒がれても確実に、何かの暗さとか歪みとか、さわやかではない苦さのようなものがあって、そここそがひとを惹きつけるのでしょう。きれいすぎる結論ですが、おそらくそういうことなのだと思います。