波に乗る人々 ― 2007-06-03
たとえば絵画には絵画の、彫刻には彫刻のやり方というものがあるはずだ。大仰な言い方をすれば世界の見方というものが。何かを習得する過程はそのまま、それに固有の物事の見方を習得するものでもある。
一方で、たとえば同じ定型詩の中でも、和歌はグリーティングカードだった。俳句は、季節が変わる予兆を真っ先に見つけて楽しむ遊びだった。都々逸はちょっと酔っぱらった雰囲気で色恋沙汰を歌い、川柳は形式からも検閲からも自由であることを志すようなものだった。また大仰な言い方だけど、それが人間の暮らしの中にあるということで果たす役割のようなものがあり、それらは、よく似たジャンルでもちょっとずつ違うはずだ…と思う。
カイト・ボーディングのことを考えているのである。
凧揚げの関連で海外のWEBサイトを検索していくと、遠からずカイト・ボーディングにぶち当たる。波乗りに凧を組み合わせた遊びで、凧と言っても奴凧を思い浮かべてはいけない。ちょっとパラシュートまがいの見た目をしている。これを揚げて引っ張られながらサーフボードみたいな板に乗る。
カイト・ボーディングをやってみたいんだよね、とウィンド・サーフィンをやる同僚に言ってみたところ、「俺も一度やろうかと思ったんだけど、みんなに『あんなのやめとけ』みたいなこと言われた」という返事がかえってきた。…まあ確かに、ウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングは、数多いマリンスポーツの中でもいかにも競合しそうではある。
しかし…たとえばサーフィンとウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングではどれもちょっとずつ違うはずなんじゃないの。俳句と川柳が違うみたいに。
和歌と俳句と都々逸がどれも日本語をうまく操る能力が必要とするように、サーフィンでもウィンド・サーフィンでもカイト・ボーディングでも、最低限必要とされる能力の質はおんなじだ。でも和歌と俳句と都々逸が違うようには、こうしたマリンスポーツの違いは明らかではないように思われる。
それはもちろん、私がマリンスポーツに無知だからなのだが----あんなの基本的にはやってなんぼのものである。やらずにマリンスポーツについて考えたりする私の方が珍しいかもしれない----サーフィンについて書く人が少なからずいる中で、その他のマリンスポーツについて実践的な本以外のものを書く人はとても少ないのである。まあ、サーフィンは板きれ一枚の単純さ故に歴史が古く、費用もそれほどかからず、結果としてプレイヤーの数が多いのに較べて、その他のマリンスポーツは新しいしお金かかるしでメジャーになりきれないのが大きいだろう。サーフボードは20,000円くらい出せば安いのが買えるが、カイト・ボーディング一式は100,000円くらいかかる。(あ、ヨットは別。アーサー・ランサムがいるし、浜辺じゃなくて沖合まで出られそうだし)
このことを調べてみたいなーと思っていて、今考えている方法は、それぞれのスポーツのプレイスポットとなっている土地をマッピングしていけばどうだろう、と。サーファーの聖地はオアフ島ノースショアなんでしょう? ノースショアにはノースショアの地理的な特性と、波の動きがある。ウィンド・サーフィンやカイト・ボーディングの聖地はまた違った波を持っているのではないかと思うのだ。
要するに、それらをプレイできる海岸の分布を色分けしていったら、場所の特性として違いが浮かび上がってくるのではないかと思っている。違うのはスポーツとしての性質ではなく、それが可能になる場所の性質なのではないかと。
一方で、たとえば同じ定型詩の中でも、和歌はグリーティングカードだった。俳句は、季節が変わる予兆を真っ先に見つけて楽しむ遊びだった。都々逸はちょっと酔っぱらった雰囲気で色恋沙汰を歌い、川柳は形式からも検閲からも自由であることを志すようなものだった。また大仰な言い方だけど、それが人間の暮らしの中にあるということで果たす役割のようなものがあり、それらは、よく似たジャンルでもちょっとずつ違うはずだ…と思う。
カイト・ボーディングのことを考えているのである。
凧揚げの関連で海外のWEBサイトを検索していくと、遠からずカイト・ボーディングにぶち当たる。波乗りに凧を組み合わせた遊びで、凧と言っても奴凧を思い浮かべてはいけない。ちょっとパラシュートまがいの見た目をしている。これを揚げて引っ張られながらサーフボードみたいな板に乗る。
カイト・ボーディングをやってみたいんだよね、とウィンド・サーフィンをやる同僚に言ってみたところ、「俺も一度やろうかと思ったんだけど、みんなに『あんなのやめとけ』みたいなこと言われた」という返事がかえってきた。…まあ確かに、ウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングは、数多いマリンスポーツの中でもいかにも競合しそうではある。
しかし…たとえばサーフィンとウィンド・サーフィンとカイト・ボーディングではどれもちょっとずつ違うはずなんじゃないの。俳句と川柳が違うみたいに。
和歌と俳句と都々逸がどれも日本語をうまく操る能力が必要とするように、サーフィンでもウィンド・サーフィンでもカイト・ボーディングでも、最低限必要とされる能力の質はおんなじだ。でも和歌と俳句と都々逸が違うようには、こうしたマリンスポーツの違いは明らかではないように思われる。
それはもちろん、私がマリンスポーツに無知だからなのだが----あんなの基本的にはやってなんぼのものである。やらずにマリンスポーツについて考えたりする私の方が珍しいかもしれない----サーフィンについて書く人が少なからずいる中で、その他のマリンスポーツについて実践的な本以外のものを書く人はとても少ないのである。まあ、サーフィンは板きれ一枚の単純さ故に歴史が古く、費用もそれほどかからず、結果としてプレイヤーの数が多いのに較べて、その他のマリンスポーツは新しいしお金かかるしでメジャーになりきれないのが大きいだろう。サーフボードは20,000円くらい出せば安いのが買えるが、カイト・ボーディング一式は100,000円くらいかかる。(あ、ヨットは別。アーサー・ランサムがいるし、浜辺じゃなくて沖合まで出られそうだし)
このことを調べてみたいなーと思っていて、今考えている方法は、それぞれのスポーツのプレイスポットとなっている土地をマッピングしていけばどうだろう、と。サーファーの聖地はオアフ島ノースショアなんでしょう? ノースショアにはノースショアの地理的な特性と、波の動きがある。ウィンド・サーフィンやカイト・ボーディングの聖地はまた違った波を持っているのではないかと思うのだ。
要するに、それらをプレイできる海岸の分布を色分けしていったら、場所の特性として違いが浮かび上がってくるのではないかと思っている。違うのはスポーツとしての性質ではなく、それが可能になる場所の性質なのではないかと。
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