二十四にして落日を見た男 ― 2006-08-22
そういえば、マイク・タイソンがPRIDEに参戦するって聞きましたけどほんとうですか。でもPRIDEってフジテレビで放映しないことになったんでしたっけ。見に行くかと言われるとつらいなあ。
私はとりたててボクシングに詳しいわけではありません。むしろここ一年かそこらのことです。が、モハメド・アリやジョージ・フォアマンを知ったときには、すでに引退していたり「奇跡のカムバック」を果たした人であったりで、その点マイク・タイソンについてはリアルタイムで知るという点でちょっとちがいます。ただし、タイソンが現役で新聞を騒がせていた頃には、特によいイメージは持っていませんでした。タイソンの詳細はボクシングより暴力沙汰で知る方が多かったですし、そのころには、ばかなスポーツマンなんて最悪だと思ってましたから。
でもこれを読んだらマイク・タイソンを観てみたくなろうというものです。近所の古本屋の店先で偶然見つけ、そのとき何でだか買おうと思ってしまった本でした。
スラムのすれっからしが、あっという間にお坊っちゃまになって、そしてまた一人ぼっち。周りには、緑色の札束がひっきりなしにこすれあい、ガサガサと音を立てているが、心の師匠は死に、無二の親友と別れ、そして惚れて一緒になった恋女房には逃げられた。カネはほどほどにあればすばらしいが、限度を超すとひたすら苦労のタネとなる。そばに寄ってくる人々が、ことごとくカネ目当てに見えてきて、心の休まるときがない。
佐瀬稔『彼らの誇りと勇気について[感情的ボクシング論]』の中の、「ハロー、マイク」からの引用です。マイク・タイソンは、たった二十二歳やそこらで、身動きのできないところまで来てしまっていた。
マイク・タイソンがなぜあの頃ああももてはやされていたのかといえば、あまりにも急激にのぼりつめて、それよりも速いスピードで転がり落ちていったからだったのか、と思って腑に落ちました。そのマイク・タイソンがPRIDEとやらに出場するのなら、私ははじめて、本当にリアルタイムでマイク・タイソンを見る機会に恵まれるのかもしれません。そこでは、名コーチ故カス・ダマトの教えを忠実に守る少年の姿を見ることは決してないでしょうが、どれほど落ちぶれていたとしても、かつて何かを得てそして失ったマイク・タイソンというひとがどんな姿で出てくるのか、恐いけれど見たいと思わずにおれません。
そういえばこの本の中に、甲子園についての言及がありました。時事ネタですしちょっとだけ引用してみます。
甲子園に出てくるほどの選手は、みなこの国のスポーツ・エリートたちだ。どんなスポーツをやっても、ある程度の成功をおさめられるだけの素質のある少年の多くが、まず野球に吸い寄せられ、厳しい淘汰を経てレギュラーになり、県予選に勝ち抜いてくる。
(中略)
ボクシング場で見る風景はまったくちがう。四回戦ボーイたちは、素質のあるなしに関係なく、胸にやみくもな向上心だけを抱えてジムの扉を叩く。みずから働いて得たカネでジムに月謝を払い、バンデージを、トランクスを、シューズを買う。
今ではだいぶ様変わりして佐瀬稔が書いたほどの落差はないかもしれません。しかしボクシングにはどれほど騒がれても確実に、何かの暗さとか歪みとか、さわやかではない苦さのようなものがあって、そここそがひとを惹きつけるのでしょう。きれいすぎる結論ですが、おそらくそういうことなのだと思います。
私はとりたててボクシングに詳しいわけではありません。むしろここ一年かそこらのことです。が、モハメド・アリやジョージ・フォアマンを知ったときには、すでに引退していたり「奇跡のカムバック」を果たした人であったりで、その点マイク・タイソンについてはリアルタイムで知るという点でちょっとちがいます。ただし、タイソンが現役で新聞を騒がせていた頃には、特によいイメージは持っていませんでした。タイソンの詳細はボクシングより暴力沙汰で知る方が多かったですし、そのころには、ばかなスポーツマンなんて最悪だと思ってましたから。
でもこれを読んだらマイク・タイソンを観てみたくなろうというものです。近所の古本屋の店先で偶然見つけ、そのとき何でだか買おうと思ってしまった本でした。
スラムのすれっからしが、あっという間にお坊っちゃまになって、そしてまた一人ぼっち。周りには、緑色の札束がひっきりなしにこすれあい、ガサガサと音を立てているが、心の師匠は死に、無二の親友と別れ、そして惚れて一緒になった恋女房には逃げられた。カネはほどほどにあればすばらしいが、限度を超すとひたすら苦労のタネとなる。そばに寄ってくる人々が、ことごとくカネ目当てに見えてきて、心の休まるときがない。
佐瀬稔『彼らの誇りと勇気について[感情的ボクシング論]』の中の、「ハロー、マイク」からの引用です。マイク・タイソンは、たった二十二歳やそこらで、身動きのできないところまで来てしまっていた。
マイク・タイソンがなぜあの頃ああももてはやされていたのかといえば、あまりにも急激にのぼりつめて、それよりも速いスピードで転がり落ちていったからだったのか、と思って腑に落ちました。そのマイク・タイソンがPRIDEとやらに出場するのなら、私ははじめて、本当にリアルタイムでマイク・タイソンを見る機会に恵まれるのかもしれません。そこでは、名コーチ故カス・ダマトの教えを忠実に守る少年の姿を見ることは決してないでしょうが、どれほど落ちぶれていたとしても、かつて何かを得てそして失ったマイク・タイソンというひとがどんな姿で出てくるのか、恐いけれど見たいと思わずにおれません。
そういえばこの本の中に、甲子園についての言及がありました。時事ネタですしちょっとだけ引用してみます。
甲子園に出てくるほどの選手は、みなこの国のスポーツ・エリートたちだ。どんなスポーツをやっても、ある程度の成功をおさめられるだけの素質のある少年の多くが、まず野球に吸い寄せられ、厳しい淘汰を経てレギュラーになり、県予選に勝ち抜いてくる。
(中略)
ボクシング場で見る風景はまったくちがう。四回戦ボーイたちは、素質のあるなしに関係なく、胸にやみくもな向上心だけを抱えてジムの扉を叩く。みずから働いて得たカネでジムに月謝を払い、バンデージを、トランクスを、シューズを買う。
今ではだいぶ様変わりして佐瀬稔が書いたほどの落差はないかもしれません。しかしボクシングにはどれほど騒がれても確実に、何かの暗さとか歪みとか、さわやかではない苦さのようなものがあって、そここそがひとを惹きつけるのでしょう。きれいすぎる結論ですが、おそらくそういうことなのだと思います。
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