Explosion/Robot2009-07-01

行ったことはないが、USJのアトラクションってきっとこんな感じなのかなーと『トランスフォーマー/リベンジ』を観て思う。

前作『トランスフォーマー』の時には、DVDのオーディオコメンタリーでも監督みずからそんなこと言ってたように記憶しているんだけど、ロボットの全容をなかなか見せずに中盤まで焦らし、ある瞬間から一気に出てくるという『ジュラシック・パーク』のT-REXみたいなところがあった。制作総指揮はスピルバーグだから、さもありなん。それは実に正当な演出方法だろうとも思う。

『リベンジ』はマイケル・ベイ全開である。初っ端から惜しげもなくCGの巨大ロボットを繰り出し建築物は破壊されあっちゃこっちゃで爆発が起こり、爆発ロボット爆発爆発ロボットロボットロボット爆発たまに女の子すぐまたロボット。もったいぶったりしない。お話なんて、あればいいのである。そして、だからこそIMAXとか導入してるようなでっかいスクリーンと低音が腹に響く音響施設を持った映画館で観るべきだ、と思うのである。…爆発とロボットを楽しめるのであれば。

黙って食え2009-07-04

「二郎」というラーメン屋がある。

Wikipediaにも項目のある有名なラーメン店で、首都圏にはけっこう店舗があるらしい。私が知っているのは歌舞伎町と品川と川崎にあるやつだ。川崎の店舗は大師線に沿って風俗街の裏を抜けたあたりにあり、飾りのない店先にはくすんだ色の服を着た男性がいつも行列を作っている。冬の夜にはハロゲンヒーターが表に出されていたりするが、踏み切りの遮断機の警報音が聞こえてきたりして、これがなかなか風情があってよい。
ただし店内にはカウンター席しかなく、一緒に食べに行ったとしても隣に通されるとは限らない。順番にカウンターの空席に座らされ、ある程度の人数が集まったところで人数分を一気に作る、という業務形態。食事中におしゃべりする客はひとりもいない。黙々と食べる。今日もまたたくさんの男の子と少数の女の子が、ひとりでラーメンを平らげる。

さておき問題はラーメンである。
えらく味が濃く、脂が多く、ニンニクのにおいがそこに混じり、野菜がどんぶりの上に三角屋根のように盛大に盛り付けられる。店の外まで脂のにおいがきつい。プロジェクトの男性陣に尋ねると皆一様に、美味しいが食べきれない、食べ過ぎると気分が悪くなる、後二年したらもう一度くらい食べたいかも、というような意見を述べる。最初の一口は美味しいんだけどね。

…それってさー、味はよいなら、量を減らしたらもっと売れるんじゃないの?
という素朴な疑問にはなぜか誰も答えてはくれない。二郎とはそういうもんだという認識は皆に共通しており、私の意見は「それは二郎をわかっていない奴の言うことだ」と一笑されて終わり。
美味しさって何なのだろうか。脂も塩分も確かに多くの人の好むところだし、刺激が強烈なら最初は美味しいと感じるのかもしれない。でも全部食べるのは苦行に近いなんて、それは美味しいというんだろうか。食事にそんな苦行めいたものを求めるのは、ある種のセックスが脳の快楽に重きを置いてるようなものにも見える----食べる喜びの社会的な側面をずーっと延長していった先にあるように。

機能と固有名2009-07-11

iPodが壊れた。しかも同時に壊れた。

古いiPod nanoとClassicの両方がいっぺんにお亡くなりになった。iPodは修理できない…というのは有名な話だし(その後変化があったなら別だが)、何かやばそうな兆候が出てきたときから覚悟はしていた。大切にしたいプレゼントにiPodをもらうのは微妙な気持ちになってしまう所以でもある。一度おかしくなったらそこでさよならだ。修理に出して返ってきたら、それはもう、大事にしていたのとは別のiPodだ。
昔、旧約のアブラハムのところだったか、えらく乱暴な神様というやつは、「あ、子供死んじゃったの? じゃあ代わりにもうひとりあげる」って感じで、別の子供をくれるという話があった。なんという『チェンジリング』。ファンクションさえ同じなら別の子供でもいいのである。

そして早くも、代わりのiPodを注文した。探せば同等の機能を持つより素晴らしい、修繕可能なプレイヤーが見つかるかもしれないが、いかんせん繁忙期で検討する時間がない。Webサイトから購入したら刻印サービスとかいうのがあった。リンクページのURLにはpersonalizeの文字がある----「自分だけの」iPodというわけだ。座右の銘のひとつと名前を入れてみたが、刻印には固有性の演出以上の意味はない。ここで言うpersonalizeが意味しているのは、世の中に数多あるiPodの中で「このiPodだけにはこの名前がついている」という演出のことなんだが、たとえばの話、佐藤さんや鈴木さんが苗字を彫ったってその文字列が特別なわけではない、シリアルナンバーの方がよほどユニークだ。それでもiPodに名前を彫るとしたらそれは、この名前のiPodがスペシャルなんじゃなくて、このiPodをスペシャルな何かにしたいからだ。なんという自家撞着。クリプキ先生、何か言ったってください。

『チェンジリング』のベースとなったゴードン・ノースコット事件の犯人は、性的虐待を加えるために何人もの少年を誘拐し監禁し、最後には殺害した。犯人にとって少年は、ファンクション以外の意味など持たなかっただろう。だがクリスティン・コリンズにとってはウォルターだった。

ところで私は、もう動かなくなったiPodを捨てられないでいる。

祭囃子の音が遠い2009-07-28

七月大歌舞伎の夜の部は「夏祭浪花鑑」と「天守物語」。「天守物語」は完璧な非日常。白鷺城の天守閣にはこの世ならぬ世界が…というだけでもアレだが、住んでいるのが坂東玉三郎なんだもんなあ。いや色っぽかった。初めて女形をすごいと思いました。玉三郎の相手役である姫川図書之助を海老蔵が演じていたが、玉三郎の迫力に較べるといかにも「金も力もなかりけり」な青二才ふうで、そこがまた乙なところなんだろう。誘ってくれたみなせさんが「泉鏡花の時代には、ああいう色男が生きていくのは今より大変だったでしょうし」というようなことを仰ってて、言われてみれば確かに…である。

「夏祭浪花鑑」は市川海老蔵が演じる団七の殺陣が季節もの。舞台の上に川と井戸がある。はずみで舅を殺してしまった団七は、ようよう近づいてくる祭囃子に我に返って井戸の水を頭から被り、刀を鞘にしまおうとするが手が震えて思うようにしまえない。刀の柄に鈴みたいのが仕込んであって、手が震えるたびタンバリンみたいな音が響くようになっている。衣装もすごかった。団七は舅の義平次ともみ合ううちに着流しが脱げて髷もほどけてしまうのだが、全身刺青で、下帯が真紅。うわぁ。だんじりに紛れて祭囃子を口ずさみながら去るという幕切れもいい。あの一連のシーンは、見終わってすぐより、時間が経ってからだんだん鮮明になっていくような気がする。

ザハリッヒ2009-07-29

二十年以上、好き勝手に本を読んできたのだから、あ、今は読めない時期なんだな、というのはわかる。受け取るこっちがうまく言語化されて落ち着いてないとき。というか、普段はよく喋る奴がなんか黙っちゃう飲み会みたいなもんで、そう気がつくまでわからない。理由はいつも後付けだからあってないようなものだ。

映画と小説をとても大事にしているが音楽がわからないという知り合いが、iPodにあほみたいな容量のmp3を持ち歩く私に言ったことには、「音楽はわからないけど、その分、音楽が好きな奴にはたとえば『天気はいいけどやる気のない日曜日の午前中』と言ったときにぴったりの音楽を選んでほしい」んだそうだ。これもなかなか難しいけど、リズムの感じ方が近ければ何とか選べるような気はする。音楽に関しては私はとても狭量で、趣味が合わない男(たとえばヘヴィメタル)とつき合うくらいならいっそ音楽なんか興味がない方がいいと主張している。音楽というやつは、音の及ぶ範囲には否応なしに影響するから、そんなにその選択権を持ちたいなら、そのくらいの責任は引き受けるべきかもしれない。

ただ、「ぴったり」の意味するところは「流れていても邪魔にならない」だったりして、その違いを考慮するのは案外難しい。どう難しいかというと、私が音楽を聴くのではなくてツールのように使うときというのは、ある種のリズムやサウンドが自分に及ぼす影響を知っていてそれを選ぶことなので、「ぴったり」と言われたらどうしてもその気分を盛り上げるツールとなりうる音楽を選んでしまうだろう。でも実際には「今の気分を邪魔しない」だったりするわけだ。

読めない時期と言っても、まったく読めないわけではない。読めるものがすごく限定されてしまうだけだ。二十年以上、好き勝手に本を読んできたけども、こういうときに何が読めるかは「あ、読めるな」と思うまでわからない。いつのまにか読めない時期が終わっているだけというケースもある。何となく、プラスのフィードバックもマイナスのそれもなくて、「邪魔しない」ものをほしがってるのかな、と考えた。