けれどもここはこれでいいのだ2006-03-21

 気がついたらアカデミー賞もラジー賞も終わっていた。忙しかったのは年度末だからではなくて、20日が締切の仕事を抱えていたせいなのだが。三月上旬にフォントとエディタを変えて以来、調子よく気分よく過ごしていたのだが、エディタを開くのさえ久しぶりだ。気がついたらお彼岸だ。
 彼女が死んだのだということを未だにきちんと理解できていない友人がいる。お彼岸の墓参りに行ったわけでも何でもないが、生前の彼女が「この本で書いてあることにひどく胸を打たれた」と言ってた本がたまたま文庫になっていたので、買って読んでみた。ずいぶん色んなものを読んでいるひとだったけれど、こともあろうに中村うさぎだった。彼女が面白いと言わなければ手に取ることはなかっただろう。
 読んでみての感想。信じられないくらいに生真面目な文章だった。もちろん多少のおふざけはあるにせよ、基本的には、とてもクラシックな文章だ。中村うさぎは出版社に印税を前借り(再来年の分まで!)しながら若くて愚かで美しいホストに入れあげ、そして考え続ける。なぜホストなのか?なぜホストに惹かれるのか?考え続け、そして終章近く、中村はひとつの結論に達する。
 ああ、そういえばこんなことを言っていたな、と思った。それは、ある意味ではとても不毛で、救いようのない欲望の物語であり、誰も手を差し伸べようのない孤独な魂の話だ。かつて友人がそんなことを口にしていたとき、私には何も言えなかったのだった。彼女にとってはきっとずっと考え続けたことで、そのことにひとつの結論が出されてしまったとき、ひとつの結論としてかくも救われない境地に辿り着いてしまったとき、何と言えばよかったんだろう。
 だけど世界のすべてが「私」だとして、「私」が「私」の自意識の牢獄から出られないとして、恋人といようが友人といようが決して相手という他者に辿りつけることなくすべてが「私」の投影に過ぎないとして、そんなことは今さらじゃないか。そう構えることはない、最初からわかっていたことなんだから。それは結論じゃなくて前提だ。その上で、私らがこれからどうするかって話をしよう。宮沢賢治が書いてたじゃないか、けれどもここはこれでいいんだ。
 今だったらそう言えるんだがなあ。今だったら。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://cineres.asablo.jp/blog/2006/03/21/298331/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。