気まぐれで人は生き返る2006-02-04

『エレクトラ』のDVDを観る。
2/3にレンタル開始になったばかりの最新作だから、3泊4日で490円もした。仕方がない、これも悪の戦士役のウィル・ユン・リーを堪能するためだ。

DVDレンタルに留めておいて本当によかった。深刻そうに始まっておいて、話の本筋がどんどん逸れていき、脈絡なく新事実が判明してくるあたり、『クリムゾン・リバー2』を思い出した。あのときは「絶対に見るな」と書いたのに、その直後にヒュウマさんから「もう観ちゃったよ」と連絡をもらったんだった。今度こそ観るなよ。
観なくていいよ、ということを端的に示すためには、この映画の世界観について書くだけで充分事足りる。『エレクトラ』の世界では白装束の善の忍者集団と、黒装束の悪の忍者集団が戦っていて、彼らは悟りを開くと「気まぐれ」の術が使えるようになる。「気まぐれ」さえ体得すれば、死者の蘇生から未来予知まで何でもござれだ。何たって気まぐれだからね!

ウィル・ユン・リーについて書こう。『トルク』では「不名誉」と書かれたつなぎを着る暴走族を演じていたウィル・ユン・リーだが、今回の服は白くてひらひら、背中には「空」の文字。暴走族の次は特攻服か。両腕にも文字が書いてあったが読み取れなかった。中盤からは後ろでひとつにまとめていた黒髪をほどくサービスあり(ちがいます)。まとめているのも素敵だけど髪を下ろすのも色っぽくてよい。
剣の達人という役所で登場するものの、残念ながらまともな格闘シーンはないに等しい(ジェニファー・ガーナー相手に格闘シーンやれってのも難しいんだろうけどさ)。『HERO』での始皇帝VS残剣と同じく、どっからともなく舞い落ちてくるひらひらの布を切りまくるだけ。エレクトラはワインレッドのビスチェとローライズのパンツという衣装だからいいんだが、ウィル・ユン・リー演じるキリギは衣装も特攻服なので、はっきり言ってよく見えません。最後の対決はもうちょっと見やすくなるものの、何せ気まぐれだから。勝負とか決着とかないから。
次こそはもっと素敵なウィル・ユン・リーにお目にかかりたい、と心から願いつつ筆を置くことにする。

ガラスの壺2006-02-06

日曜日、武蔵境の中近東文化センターへ「ガラスの博物誌」展を見に行った。小さな研究センターの展覧会で、展示物の説明会にも十数名しか参加せず、参加者のほとんどは、文化的なものを批判抜きに楽しむ経済的な余裕のありそうな老婦人だった。大学時代、西洋古代哲学史講義を熱心に聴いていた上品な白髪の老婦人の、丹念に削られた赤鉛筆を思い出した。
メソポタミア、あるいはエジプトに始まり、ローマでワインの容器として発達し、イランではシルクロードの発展とともに独自のカットグラスへ進化を遂げるガラスの歴史を聴きながら、いちばん意外なガラス工芸品は、ひと抱えもあるガラスの壺だった。ローマ時代のもので、骨壺として使われていたのだと言う。

ローマではキリスト教が国教になるまでは、火葬の方が一般的だったのだろう。それにしてもガラスか----日本では今でも骨壺を使うが、ガラス製を選ぶ人は少ないだろう。薄い碧の色を帯びたガラスからは、どうやったって象牙の色が透けて見えるはずだ。彼らはいったい、その壺をどこに置いていたんだろう?日本人みたいに土に埋めていたんだろうか?
吹きガラスの技法が広まってから作られたその壺は、薄く、滑らかで、口のところが蓮の葉みたいに広がっていた。ワインを入れたら葡萄の色が映えただろう。見える場所に置いておくための壺でなければ、そんな典雅な作りにはしないはずだ。
ギリシア人ならきっとガラスの骨壺なんか使わなかったんじゃないかと----これは偏見だけど、ギリシア人は、見せなくてもいいものは見せないだけの優雅さを持ち、見なくてもいいものからは身を遠ざけるだけの慎みがあったんじゃないかと思う。

人を葬るにもいろいろなやり方がある。驚くほどいろいろなやり方が。

反重力的ターン2006-02-12

スノーボードをまったくやったことのない人間が「きゃば…何?」と質問されて「キャバレリアル」を説明できるわけがない。答え「トリプルアクセルと同じだよ。キャバレロさんの技だから、キャバレリアル」
何にも説明してないのだけれど、明日になれば家主は、こんな技の名前忘れてしまうだろう。

"Extreme Sports"は、スケートボードにインラインスケート、マウンテンバイク、サーフィン、スノーボードその他諸々を含み、要するに「反重力的にターンする」ものなら何でも含まれるように見える。
トリノオリンピックのスノーボード男子ハーフパイプを見るともなしに見ながら、「みんな若い子ばっかりねえ」と家主は言う。うん、新しいスポーツだからねと私は答える。「それにみんな、だぶだぶの服を着てるのね」 そうだね、スノーボードはすでに彼らのファッションや音楽と結びついたものとしてオリンピック競技になったものだし、それに、この中継を見ててごらん、彼らに対する最大の誉め言葉は「格好いい」であり「スタイリッシュ」だよ。私たちの頃にはこの手のスポーツはそこまでメジャーじゃなかったし、これは、基本的には1980年代生まれのものだよ。

…とこの辺で男子ハーフパイプの予選は終わり、靴を磨きながら考えた。インターネットの普及率ってどうなってたっけ。この手のExtreme Sportsはそれに関わる周辺分野(ファッションとか音楽とか)も含めて、インターネットと切り離せないはずだ。
先進国でExtreme Sportsに魅了される子供たちの家庭の平均的な収入ってどんなもんなんだろう、中西部のホワイト・トラッシュやデトロイトの黒人達は、あるいは日本でも所得の高くない家庭の子供たちは、どんなふうにこれを受け容れる機会を得るんだろう。ブラウン管では、金メダルを獲った二十歳そこそこのショーン・ホワイトが、星条旗のスカーフを外して屈託なく笑っていた。

既視感氷解2006-02-13

そうか、ショーン・ホワイトみたいなものをどこかで見たことがあると思ったら、250ccの頃のヴァレンティーノ・ロッシか…。育ちがよくて健康でハッピー。そして強い。

思うに俳句というのは、まだ訪れていない季節の前触れを、ほんの些細なものに見つけ出してグリーティングカードを書くような、そういう楽しみだ。地味で、奥が深く、観察力の質が昆虫マニアの知り合いを思い出させる。その知人は、選挙権を経て十数年後にようやく自転車に乗れるようになったのだけれど、自転車に乗るとスピードが速すぎて、何も見つからないのだと言った。歩いてときどき立ち止まって、という速度でなければ見つけられない季節のしるし。あるいは生命。蛾および蝶だけは勘弁してもらいたいけどね。
俳句仲間と小石川庭園へ行った家主によれば、梅はまだまだだそうだ。今日はいい天気だった。

link it.2006-02-17

今日(もう昨日か)は職場でぜんぜん働く気がしなくて、しかも何だか、抱え続けた不安がついに現実化するんじゃないかという張りつめた空気が漂っていて、まともに仕事にならなかった。

amazon.co.jpの「おすすめ本」のリストでは、提示されたそれぞれの本に対して「持っています」と「興味がありません」というボタンが用意されていて、amazonのデータベースから引っ張ってきたオススメに対してフィードバックを送ることができる。
最初、出てきたのは進化論や進化心理学関係、認知科学関係ばっかりだった。このあいだ買ったからだろう。で、フィードバックを繰り返していくうちに、ある瞬間、橋本治が一冊出てきた。「持っています」を押す。すると橋本治の著作がもう一冊、もう二冊…それからしばらくの間は、橋本治の著作群に対して「持っています」を押し続け、どこで引っかかったのか映画関係が現れた。またしても「持っています」をクリック-----そのうち柳下毅一郎に辿りつき、町山智浩が出てきたと思ったら、今度は洋泉社とSFだ。
「…ついに出てきたよ佐々木敦!」「マイケル・マーシャル・スミスが来るだろうそろそろ」「これでまたしばらくバタイユを登録し続けかー」とか言いながら延々とその作業を繰り返していくうち、「持っている本」のリストは300冊をさっさと通り越してしまい、提出される100冊前後のおすすめ本がすべて、知らない本になるまでやってやろうじゃないかと----思っているうち、おすすめ本の大半は哲学関係になっていた。名前は知っていても読んだことはない本ばかりだ。『精神現象学』とか『判断力批判』とか、そういうの。
少なくとも私の嗜好の一部は、amazonのデータベースの検索条件でひとつながりになっている、ということだ。
犯罪小説のたぐいは一件も引っかかってこなかった。それから英米文学もだめだった。イタリア文学と中南米文学はどこからともなく引っ張られてきたのに。美術関連の本は単発で出てきたものの発展性には欠けたし、フランス文学でマルグリット・デュラスが出てこなかったのも意外だ。今の段階で小説はほとんど残っていない。

惜しむらくは、amazonのオススメは常に、最近の情報を検索条件として使用しているので、最初の方に出てきた著者から繋がるはずの部分はどんどん消えていってしまう、ということだ。

この盃を受けてくれ2006-02-18

アルコールが最初にもたらす酔いはひどく軽薄なものだから、その勢いで脱いだり踊ったり寝てしまったり職務質問されたり、実にさまざまなことが起こる。
踊るのは好きだけど、朝まではつらい。軽薄な酔いがいつのまにか、ごまかしを許さないほど疲れを切羽詰まらせる。眠くなる。眠いというのは布団さえあればとても幸福な気分で、ようやくその幸福を心ゆくまで味わえる(でもその前に寝てしまう)。

…と思ったら、やっぱり明日も出勤しなきゃだめかー。何でこんな夜中にメールが来るのさ。

紙の束は重い2006-02-19

17時から本棚の整理を開始、18時には完全に床が本で埋まり、何とか寝る場所を確保したのがついさっき。まだ、整理すると決めた本をまとめて実家に送ったり古本屋に売ったり捨てたりする作業が残っている。明日の午前中は潰れたな。
答えは知っているが、今回はそれでも言いたくなった。誰だよこんなに大量に買い込んだのはよ。

かつて読んでいたポストモダンな英米文学のたぐいは、本棚のいい場所からはご退場いただくことにした。もはや読み返す気力がない現代哲学も。ぱらぱらとデリダを捲って「わからないなあ」としみじみしてしまった。しかもそれらは、何というか、杭を打つようにそこにあった。本棚が埋まってしまうだけではなくて、それに縛られて身動きができなくなるような本というのが世の中にはあるのだ。私がもっと大人になれば別かもしれないけど、少なくとも、今はまだだめだ。

小説は当分いい。特に、最近の文学はしばらく置いておこうと思う。興味があるものを何となく覚えておいて、またしばらく経てば淘汰されるだろうから、そのときにまだ残っているようなら読めばいい。そのぐらいの気分だ、何でだろう。今はそれより科学啓蒙書の方が楽しい。
いちばん最近読んだのは歯医者に借りた『不道徳教育』で、リバタリアニズムについての本だ。あらゆる意味での資源が無限であるならリバタリアニズムもいいのかもしれないが現実的には有限なわけで、そのことを考慮に入れていないように思われた。原著は1976年のものらしいから、時代の違いかもしれないが。2006年のリバタリアンはどんな感じなんだろう。

見慣れることと新鮮さ2006-02-19

花火の時期になると、浴衣を着た女の子を多く見かけるが、彼女たちのことは「あー浴衣を着た女の子がいるなあ」としか思わない。あの浴衣の柄はセンスないねえとか、ああ着崩れてるなあとかいう感想ばかりで、「ヒロインが浴衣を着たのでみんな注目!」という事態にはならない。
だけど、いつも洋装の職場の女の子が和装で現れたら「すごくかわいいねえ」と思うだろう。いつもと雰囲気ちがうけど、これもすごくかわいいよ、と。

先日、家主がテレビを見ていて「この人達本当に気持ち悪いのよ」と言った。見るとバラエティ番組にアンガールズなる芸人さん達が出てきていた。なら消しちゃいなよということで、家主はチャンネルを変えてしまった。アンガールズが出演しているがために、視聴者がひとり失われたわけだ。
この人たちの名前は近ごろ、割りと耳にするのだけれど、確かに「気持ち悪い」と言えばそうだ。この人たちを支持する人々は、彼らを「気持ち悪い」と思っているだろうか? たぶんいない。言ったとしても、家主の端的なひとことのように容赦ない全否定の言葉ではなく、飲み会の席で友人をからかう程度のものじゃないかと思われる。

見慣れたものはよく見える。

古書肆臼杵リターンズ2006-02-20

ただし今回はほんのちょっとです。誰かに引き継ぎたいと思っているとなかなか手放せなくなるんで、もらってくれる人がいてもいいかなあと思う本だけ。

■SF
『オルタード・カーボン』 リチャード・モーガン 上下巻

■ビート
『ヤング・アダム』アレグザンダー・トロッキ

■ロマン・ノワール
『パパはビリー・ズ・キックを捕まえられない』ジャン・ヴォートラン

■思想
『知の欺瞞』アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン

■絵画
『不実なる鏡 絵画・ラカン・精神病』ミシェル・テヴォー
『観察者の系譜』ジョナサン・クレーリー

ほしい方はAliまでメールください。

飛べる鳥2006-02-25

二週間くらい抱えていた疑問、答えが出そうで出ない疑問。飛べる鳥で最大の鳥は何か?

図書館に行けば簡単に調べがつくのかもしれない。うまいこと図鑑を調べることができれば。インターネットはあまり役には立たなかった。役に立ちそうな資料は有料でしか手に入らないと見えた。無料で手に入る情報を厳選するのは難しかった。鳥類の中でも大きい種は、たいがい飛べない(だからこそ飛べる鳥でいちばん大きい鳥は何かを知りたかったのだが)。

数年来、バードウォッチングに精を出している母親に質問してみたが、確たる答えは返ってこなかった。おそらくワタリアホウドリだろうというくらいだ。Wikipediaによれば「最大級の海鳥」だそうだ。最大級か。ワタリアホウドリだけに限って話をするなら、彼らの大きさよりも生態の方が不思議だ。繁殖期以外は陸地にほとんど近づかないと言うんだけど、じゃあどうやって眠っているんだろう?
鳥は、系統差より個体差の方が大きい種でもあるらしいから、大きな猛禽の小さな個体と、小さな猛禽の大きな個体を較べるという行為は、あんまり為されていないのかもしれない。
(ここで逆に、それ以外の種に関してはそれほど調べがつきやすかったのかという疑問が湧いてくる)

こういう疑問に答えてくれるのは、学者のお役目には入っていないのかなあ。入っていない気もするなあ。