ロマンティック2007-04-18

最近怠惰なので、麻雀漫画もこれだけ出てるんだから『探偵に愛を込めて』みたいなムック本が出ていてしかるべきじゃないのかと思ってしまう。まあエスクァイアはやってくんないと思うけどさ…オシャレじゃないから…。でもヤクザ映画のムック本はかなりの数あるんだし、ここらでひとつ。どうですかね麻雀エンターテイメント全般についての、ちょっとした紹介本みたいなの。

そんなわけで『天牌』を読む。
麻雀漫画って本気で読むとすごく時間がかかるものだ。描かれた牌の並びから状況を察することが求められるから。何がどうすごいのかというきめ細やかな解説がないとよくわかんないことも多い。…が、こと『天牌』に関してはそれもあんまり気にならない。麻雀牌は生き物で、よい打ち手はそれを理解し、季節が巡るようなある種の必然に導かれて打つ、というロマン主義闘牌だから。麻雀があんまりわからなくても読めるという利点あり。なんかよくわかんないけど放銃牌はぴたりと止まる。空テンはそれとわかる。
結果どうなるかというと、強さには理由などないのである。強いものは強いし、弱いものは弱い。"忘郷の一匹狼"影村遼が、過去に因縁のあったヤクザに捕まって雪山に生き埋めにされ、奇跡の生還を遂げたものの両手で合わせて五本の指を凍傷のために失った…とかいう辛酸を舐めて「修羅場の数なら金メダル級」とか思っても、波城組No.1の代打ち津神元や元裏プロ界帝王の入星祥吾にはいいように手玉にとられちゃったりする。
それでも、序盤から中盤まではさほど気にならない。『天牌』は現在37巻まで刊行されているのだけど、14巻あたりから18巻で決着を見せる雀荘「天狗」決戦までは最強の男は"麻雀職人"黒沢義明で、この人は言ってみれば『特攻の拓』における天羽時貞みたいなものだ(微妙なたとえ)。『天牌』の世界に生きる男たちの理想のありようを体現している。その黒沢は天狗決戦を最後に姿を消し、ほとんど入れ代わりで津神元が登場する。漫画内でのポジションとしてはポスト黒沢、理念的にはアンチ黒沢。脈絡のない強さという点では黒沢と変わらないのに、受ける印象はだいぶ違う。そしてその違いは、彼らの麻雀と言うよりは彼らの人間性に由来している。
何というか津神は、ロマン主義者の群れに一匹、バリバリの唯物論者がいるような感じだ。「麻雀の神」とか言わないし「絶対」がつく言葉も口にしないし「魂」「人生」も普通のおっさんでも言えそうなセリフで出てくるだけ、だけどやってること(=麻雀)は他のキャラと大差ないロマン主義闘牌に見えるのである。…この辺から、強さがインフレーションしているようにしか見えなくなってくる。津神元はバリバリの唯物論者っぽいがために、『天牌』におけるあらゆる闘牌はロマン主義闘牌以外の何かではありえない、ということをはっきりとさせてしまう。

考えてみれば、『天牌』世界における麻雀打ちの理想は黒沢義明にあらかじめ限定されている。それでは彼を頂点とするヒエラルキーができあがってしまい、後は、どれだけその境地に近いかが問題だ。そこでは強さというものにあんまり種類がない。
色んなキャラクタがいてこその麻雀群像劇なのに、強さの種類が少ないのはちょっとさびしい。だから個人的な希望としては、色んなキャラクタがそれぞれの強さのありようをもうちょっと多様なセリフで示してくれたら、と。
津神元が「知ってるか。ミネルヴァの梟は夕暮れになってから飛び立つんだぜ」と言ってロンとか。"電脳超新星"北岡静一が「俺たち余りにも知りすぎてる。そして余りにも感じなさすぎる。」と言いながらリーチかけるとか。"氷の貴公子"三國健次郎が「砂糖水が飲みたければ…」と言って手牌を倒し、「砂糖が水に溶けるのを待たなければならない…」と口走るとか。

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