地獄で晩餐2007-06-11

『300』の感想を書こうとして、『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』での『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』評を思い出した。『フルスロットル』について「こんなものは映画ではない」と言う映画評論家が多い、というのに対してガース柳下いわく「せっかくおねーちゃんが一生懸命お尻振ってくれてるのに文句言うことないよね」
…ひょっとしてこれ『300』にも当てはまる? 突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、せっかく若いのから壮年まで、ほれぼれする筋肉の男どもがパンツいっちょう(とマント)で暴れてるんだから文句言うことないよね、という。最高。

フランク・ミラーの描く話はちょっとばかりダークでグロテスクでバイオレンスなのだが、深く考えさせられることはない。この人はきっと「とにかくこういうのが好き」なんだろうと思う。恥ずかしながら私も同じ趣味の持ち主なので、深読みしてどうこう言う気にならない。後味と、本気で痛そうだと思わなくてすむという点で、この手のバイオレンスはアメリカ産が観ていていちばん楽しいのだ。
それにしてもフランク・ミラーは映画化に恵まれている。
『シン・シティ』にしてもこの『300』にしても、気張ったフランク・ミラー実写紙芝居という感じ。『シン・シティ』が実際にはありえない影絵なら、『300』は実際にはありえない古典主義絵画とでも言おうか。絵画的にすぎる遠景(特に雲)と、緋色のマントの翻る剣戟のくっきりしたリズムが、ますます紙芝居ぽく見える。

あ、以下ネタバレです。

せむし男のエフィアルテスはスパルタ軍に参加したいと強く望んでいるが、盾を肩の高さまで持ち上げることができないという理由でレオニダスは彼を300人隊には加えない。ファランクス陣形では、盾を左手で構えて自分の左側にいる兵士の半身を敵の攻撃から守れなければならないからだ。
レオニダスを恨んだエフィアルテスは、クセルクセスに裏道を教えるという裏切りに出る。山羊の頭をした吟遊詩人、女同士でむつみ合う二人がこちらを向けば顔の右側が焼けただれ、フリークショウと化したクセルクセスのテント、ねっとりした金色がちらちら輝くほの暗い中でエフィアルテスが望むのは、「富と女」それからもうひとつ「ペルシアの軍服」だ。本当は緋色のマントと鈍く輝く盾と兜がほしかった。
これはそういう馬鹿げた話だ。…ところで、せむしってポリティカリーにコレクトであるためには何て言えばいいのかな。「せむし」で検索したけど、すぐには見つけられなかった。