-aholic2011-02-08

ワーカホリックというのは、仕事大好きで他のことなんか目に入らないか、仕事と家庭以外のアウトサイドなんか全然必要としない人のことかと思っていたが、そうでもないみたいだ。というのが、この数か月で得た新たな知見だ。

たとえばアルコール中毒を考えてみよう。私の知っている中毒のもっとも身近なものがこれなんだが、アル中というのは、アルコールを愛しているのと同じくらい憎んでもいて、ただ好きだったはずのものが知らない間にそれなしでは生きていけないようになってしまい、気がついたときには支配しているつもりが支配されていて、とにかく、楔を穿たれたように切り離せなくなってしまうようなものだ。愛と憎悪はごっちゃになって禍々しくもあり、煮詰まって腹の底に溜まっていく。アルコールを断つときには、アルコールだけでなくそれと結びついていたすべてのものを同時に諦めなければならない―――それができなければたぶん、酒をやめることは難しい。

同じようにワーカホリックというのも、仕事は好きで、やめるつもりもないし、面白くもある。ただ気がついたら仕事に生活のほとんどすべてを支配されていて、夜眠るときでさえ仕事の夢を見て、気がついたら仕事の合間にちょっとした息抜きとしての人生があるような状態になってしまうってことかもしれない。

この考えが当たっているとしたら、この半年、私は間違いなくワーカホリックだ。最初からのめりこんでいたわけではない。血の最後の一滴まで捧げていいと思うほど好きなわけでもない。同時に、これなしでは生きてる気がしないという同僚の気持ちもわからなくはない。

いや、中毒なんて、ホントいいものじゃない。うん。二ヶ月くらいかけてようやく少し復活してきた。

奴らには何もやるな2010-10-23

10月も半ばを過ぎた。気がついたら終わっているに違いない。今までだって何度も修羅場はあったが、今回のは長い、それにヘビーだ。何度か小休止のような時間もあったが、思い出せる景色はまだ夏だった頃のものだったりする。

先週、同僚の男性二人とトラットリアのランチを食べながら、彼らが口ぐちに言うことには、今の私のような立場では絶対に働きたくないそうだーーーーま、言いたいことはわからないでもない。打っちゃられた約束、不義理を重ねるプライベート、土曜日の夜中に電話会議、日曜日の早朝に報告書、平日は果てしなく長い。ちょっと報われなさすぎですよと彼らは言う。そう、報われないんだから、売っちゃいけないものもある。

平岡正明はかつて「身もこころも知慧も労働もたたき売っていっこうにさしつかえないが、感情だけはやつらに渡すな」と言ったが、その意味がようやくわかってきた。こういう状況に一定期間置かれていると、まず体力が持たなくなってくるし、精神的にも疲労がたまってくる。多くの人が次に売り渡すのが感情だ。それは、何でおればっかりこんなに働かなきゃいけないんだという悲嘆であったり、あいつさえいなければという呪詛であったり、また余計なこと言いやがってあの野郎という苛立ちだったりする。よくよく考えると当たり前のような気はするが、感情はそのほとんどが外の世界、特に誰かしらの他人に向けられている。人を呪わば穴二つ。そうした感情を燃料にして仕事をすると、やがて、ボディブローを食らい続けたボクサーがある瞬間ふと糸が切れたように崩れ落ちるのと同じやり方で、気がついたら膝をついていることになる。人はゆっくりと時間をかけて魂を売り渡す。そして買い戻すにはそれ以上に長い時間がかかる。

そういうのを目にするのも初めてではないが、今回のは長い、それにヘビーだ。私にも彼に手を差し伸べる余裕はなかった。

Do It All Over Again2010-07-11

気がつけばはやぶさも帰還していたし、夏至はとっくに過ぎ去って、七夕も終わった。W杯は知らないうちに始まって知らないうちに終わろうとしている(あやめさんに見せようと思ったLouis Vuittonの広告はThe Economistから破り取ったままクリアファイルで書類に埋もれている。酒場でサッカーゲームに興じるジダンとペレとマラドーナ)。プロジェクトを掛け持ちしながら新しいプロジェクトの立ち上げに参加する六月がかなり忙しい月になることは予想されていたのだけれど、家主が倒れて入院というアクシデンタルな出来事が重なって、やらなければいけないことに両手を引っ張られ無理やり走っていたような気分だ。ようやくコントロールを取り戻しつつある――――とは言えまだ終わっていないけれど。八月までかかりそうだ。

本当はこういうときはもっと書いた方がいい。他愛ない日常的な雑感なり夜の病院での観察なり、日記でもアレなテキストでも、何だっていいから書いた方が気分的に安定して物事に取り組むことができる。書くというのは少し対象から距離を置いて整理するという側面がある。足がもつれそうに急いでいるときほどわかりやすく効果がある。一度習慣化してしまえば簡単なのだが、失ってしまうと再構築するまで時間がかかる。わかっていて一ヶ月以上が過ぎてしまったから、これから一ヶ月か二ヶ月かけて再構築するつもりだ。

何か書こうかなと思ってnovelist.jpに登録し、古いテキストをアップロードしたりしている(日本でもこういう形式がもっと一般的になるといいのにと思う)。たまに書くと楽しいし、考えていることをネタの形にすると少し片付いたような気分になるから、書いて気が済むなら書く方がいい。それで読んだ誰かをエンターテインできるなら文句ない。…こんなふうに少し前向きになったら『ワインバーグの文章読本』の出番だ。この本の著者ジェラルド・M・ワインバーグはIT関連コンサルタントの元祖みたいな人で、『コンサルタントの秘密』を初めとする何冊もの著作を物しており、ユーモラスで読みやすい文章とともに時折ひどく大事なことを言う。そのワインバーグの文章読本は、これが、IT系の人間しか読まないのがもったいないような本なのだ。

これとつながってはいるが、ちょっと違う話に飛ぶ。

NHKで放映している『ハーバード白熱教室』のマイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』が売れているようだ。私もKindleで読んでいる。これが滅法おもしろくて、時事問題をもとに政治哲学を語っていく手法が実に見事だ。

個別のトピックはさておき、読んでいると、日常いかに思考停止しているかを思い出す。就職してしばらく経った頃、考えることを意図的に中止した事柄がいくつかある。答えの出ない問題、大雑把に言えば真善美だ。答えは出ないだろうと考えていた。絶対的に正しいものとしての神でも仮定すれば別だが、そんなものはない。それでも神なしに正しい答えを導き出すことを無限に遠い目標として置き、考え続けるべきだろうと、その前提を置いたところで考えることをやめた。やめたのは、いちいちそんなことを考えていては日常生活に支障をきたすからだ(日常生活でいちいち根本まで遡らなくてすむというのは、暫定的な正しさとしての法の大きな役割だ)。考え続けるべきだと態度だけを決めてそこでストップというのは捻くれているようだが、考えなければならなくなったらいつでも再開できると思っていた。けど、これもありがちな話だが、結構停止しちゃっていたみたいで、肩凝りみたいに固まっちゃっていたところがいろいろ出てきた。そろそろリストラクチャリングの季節だという予感がある。

Two Weeks in Manhattan2010-04-23

二週間をマンハッタンで過ごし、さっき帰ってきた。

泊まったホテルは大きなとこで一泊二〇〇ドルから、観光客とビジネスマンしかいない。当たり前か。それ以外でホテルに泊まる理由はそうはないんだから。火山の影響で帰れなくなったというロンドン出身の黒人女性、ファッション関係のリサーチをしにきているという日本人、オクラホマから観光に来たという女性の五人組、パリから来たという大学教授。生粋のニューヨーカーは見ない場所だ。

高いビルばかりのミッドタウンでは、サイレンやクラクションはすべて反響しながら上へ抜けてくる。街全体に「マンハッタン」ってサウンドエフェクトがかかってるみたいだ。地下鉄の駅は二三丁目と一一〇丁目がよかった。割りと細めの黒い柱が無造作に並び、そこだけぽっかりと別の道に繋がっているみたいで。でも歩くのはもっと楽しい。ただロンドンでもそうだったが、かつては治安が悪かったはずのテンダーロインもヘルズ・キッチンも、今ではひとりで歩けるくらいに落ち着いている。そりゃまあ、夜中に人気のない道をひとりで通ったりはしないが。

いちばん美味しかったごはんはイースト・ヴィレッジで食べたケイジャン料理、次点で三番街のイタリアン、グリニッジ・ヴィレッジのキューバ料理。安いとこだと、パキスタン系の同僚おすすめの屋台で買ったファラフェルがうまかった。いちばん多かった夕食メニューであるところのビールが案外うまい。バドライトとかクアーズみたいなのしか置いてないのかと思ったけど、サミュエル・アダムスのドラフト、ブルー・ムーンというアメリカ製のヴァイツェンビールと、後はブルックリンラガー。パイントが安くても七、八ドルはするから、ロンドンに較べるとちょっと高い----というか、ロンドンのビールはやっぱ安すぎるんじゃないか?

本屋とCD屋がすごく少ない。マンハッタンの中だけではなくて、ちょっと離れた郊外でも、駅前の本屋みたいなものはないようだ。一応おみやげでSTRANDの買い物袋は何枚か買ってきたが、見るべき本屋は見つからなかった。昔、高橋源一郎が書いていたような凄まじい書店って、どこのことだったんだろう?

クラブの中庭で煙草を吸いながら雑談し、音楽的には日本とあんま変わんないなぁでもディープなイベントはどこでやってんのかわかんないなぁとか、取引先の男性とふざけて行ったジェントルマンズ・クラブではロシア系の女の子にラップダンスを踊ってもらい、深夜まで人通りの絶えないタイムズ・スクエアで若い観光客と一緒になってだらだらした挙げ句アイリッシュパブでビールを飲み、翌朝は六時起きで七時半から仕事の生活は終わりだ。

Last Man Standing2009-11-10

次に名前を聞くときは訃報だろうということは、みんなわかっていたはずだ。

レヴィ=ストロースが死んだと聞いてすぐ、数年ぶりに内田樹のブログを見に行った。きっとヒット数上がったろうな。時評系の読み物がつまらないのでさよならしてたけど、内田樹なら何か言ってると思うもの。あとは菊地成孔の速報。それで何となく、菊地成孔がチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、バド・パウエルなんかを指して「ビバップの神々」という表現を使うのを思い出した。1940年代のニューヨークにビバップの神々がいたなら、1950-60年代のパリにいたのは----カミュ、サルトル、ブランショ、レヴィナス、ラカン、メルロ=ポンティといったきら星のごとき面々は、まさしく神々と言うにふさわしい。

内田樹は1930年代に若者だった彼らがどのように「壮絶な自負と緊張感」を持っていたかを(半分想像で)書いているが、私が物心ついたときには彼らの大半がすでに鬼籍に入っていたので、もっと懐古的な想像をしてしまう。つまり、生き残るのはどんな気分だったのか、ということだ。

カミュが悲劇的な自動車事故で死んだのは1960年。五月革命なんてまだまだ先の頃だ。サルトルは右目の視力を失ったが1980年まで生き延びた。晩年になってみずからの戦争体験を発表したブランショも2003年にこの世を去って、レヴィナスがきっと静かに生涯を閉じたのは1995年----その頃私はガキだったので訃報を聞いた覚えもない。そういえば死因を聞いたことがないなと思って探したけど、すぐには見つからなかった。ジャック・ラカンは大腸癌を患って1981年に亡くなり、親友だったというメルロ=ポンティは1961年、デカルトについての講義の最中に脳卒中で倒れた。色んな人が色んな死因でこの世を去っていき、何人かは最期が劇的すぎてかえって有名になった。

レヴィ=ストロースより若い人もたくさん死んだ。ロラン・バルトは1980年に交通事故死、ドゥルーズは1995年に自宅から身を投げたし、ミシェル・フーコーは1984年にAIDSで命を落としている。誰かが死ぬたびにみんな、ある時代が終わったような気分になったんじゃないかと思う。そして2004年、数々の弔辞を読み続けたジャック・デリダが死んだ。これで残ったのはレヴィ=ストロースだけだと思った。レヴィ=ストロースはまさしくLast Man Standingだった。だから『悲しき熱帯』のあまりにも有名な最終章の一文を思い出すこともわかっていたはずだ、という気分になる。

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。

ワイルドサイドを歩け2009-09-21

-雨宮 貧乏人には自己責任を押しつけて、俺たちの税金を怠けた人間に使うな、そういうことですよね。
-飯田 僕が思っているのは、雨宮さんにとって右翼の頃からずっと敵であるのは、いわゆる日本的な「世間」なんじゃないかと。
-雨宮 ああ、それはあるかもしれないですね。
-飯田 自由競争はよくない、さりとて貧しい人を助けるのもよくない。これは「世間」に後ろ指をさされない生き方をしている人は守るべきで、後ろ指をさされるような奴は自己責任、ということかと思います。
 こういう日本的な空気とでもいうべきもん。それがいちばん怖いんです。(後略)

『脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる』より。この本、売れてるみたいだけど、もっともっと読まれるべきだと思う。読まれるべきだと思うのと関係なく、読んでいていちばん刺さったのが上記の箇所だ。

日本的な「世間」が怖いのは、「世間様」の基準に照らし合わせると非難される側の人間が、その基準をないがしろにするでも蹴散らすでもなく、内面化していくからだ。実際には誰も表だって後ろ指をささないかもしれないが、表だって後ろ指をさされたわけでもないのに何か後ろめたいと思うようになり、己の窮状を自己責任として引き受けるようになり、無駄に自罰的な考えに足を取られて身動きが取れなくなっていく。規範はそれが「押しつけられた」ものである限りはどうとでもなるが、下手に内面化されると手のつけようがない。

ときどき考える。最初に就職するときは、三年、「世間」でやっていけるかどうか試してみようと思っていた。三年が過ぎて何とか仕事もやってけなくはないことがわかり、転職したいなーと思って、まあ2008年までに次の仕事先を見つけないとやばいなと思って転職した。その目論見はある意味当たったわけだが----当たって嬉しくも何ともないまま、転職先で二年目。私はなめくじ長屋の非人たちがいる世界に生きているわけではないが、同僚と喋っているときなんかに、ふと愕然とする。今の私の同僚たちは出自も来歴も大変に恵まれていて、それを当然のこととして享受した上で、キャリアや結婚について悩んでいる。たとえば、早稲田の理工学部を出た帰国子女(父親は大手メーカー勤務の管理職)がワークライフバランスについて悩む、みたいな。女の子の悩みを純化すればすべて『セックス・アンド・ザ・シティ』な世界。それがマジで深刻な悩みだ、ということに最初は驚いていたが、だんだん当たり前のようになってきた。

かつては自分からいちばん遠いものとしてキャリアだのワークライフバランスだのダイバーシティだのを位置づけ、そんな悩みは無用で無益だと断言していたのに、気がつくと自分もその基準を内面に抱えこんで「うまくやれているか、いないか」を判断するようになっている。世間様に混じって働きながら、己が身をそのアウトサイドにキープしておけるなんていうのは、ずいぶん甘い考えだったわけだ。挙げ句、他人様のことまでその基準でジャッジしたりする----それこそ、かつて自分がもっとも嫌がったものじゃないか。

今さら降りるつもりはないが、アウトサイドを棄てたくはない。ま、結婚のきざしがない三十代の女だってだけで充分にアウトサイドだと祖母なら言うだろうが----ルー・リード先生、何とか言ったってください。

She said, hey babe, take a walk on the wild side
I said, hey honey, take a walk on the wild side

田舎の不夜城2009-01-03

会社で「お正月どうしてましたか」と言われたら「いやあ、家族サービスで」とか答えてしまいそうなのだけど、どちらかというと、サービスされた側のような気もする。私の場合は独身で、家族というと両親および兄弟が筆頭に上がるが、全員「家族サービスで」って答える身分だ。誰が誰にサービスしているわけでもないのだが。

地元のショッピングセンターの不夜城っぷりに驚いた。私の地元は茨城県で、国土のおよそ70パーセントが山であるこの国ではかなり平たい部類に入る。市街地からちょっと走れば高い建物もあまりなく、冬枯れの田圃が広がる街灯も少ないど田舎に、突如としてそびえ立つショッピングモール。駐車場の高層階(と言っても五階くらい?)から出てくる車のライトが通路の斜面に連なっているのが遠くからでもくっきりと見える。ちょっと異様な光景にびびっていたら「でしょう。働いている人には不夜城と呼ばれているよ」と教えられた。

まあ、夜10時には閉店らしいのだけど、元旦から夜10時まで営業する必要はないよなあ。とは言え、お店はどこも初売りセールで、トミー・ヒルフィガーのセーターとか買ってしまいました。

しかし何より、左下の親不知を抜いて痛い目に遭ったばかりだというのに、右下の親不知が生えてきたのが気になるお正月。

Bacchus2008-08-09

ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』の天使は、オールバックの髪を一つに束ねたロングコートのおっさんで、人々のそばにただいて、目撃し、声にならない声を聴いている。うしろすがたのしぐれてゆく老人の後ろを、同じような足取りでついていくおっさんが天使だ。人々は彼らの存在に気がつかず巨大な図書館で本を読む。

どっかの雑学本で読んだ話で、ドイツのある統計では自分には守護聖人/守護霊みたいなものがついていてくれると思っている人が50%を超える、というのがあった。守護聖人とか守護霊とかいうと、地縁血縁的な何かとの繋がりを意識しているように聞こえるけど、『ベルリン』の天使は、そういう繋がりとは切り離されたところで成立している守護聖人のようなものかもしれない。都会の話だし、ヒロインはサーカスの踊り子だし。

古代ギリシアの演劇にはコロスという合唱隊がいて、劇中の背景説明や表だって表現されない心情や見ている側の嘆きまで、ぜんぶ代弁してくれる。これは大変に便利な代物だ。それに較べると『ベルリン』の天使は実に役立たずだ。見てるだけ、聞いているだけで、誰かにそれを伝えてくれるわけではない。最強の証人だが証言台には決して立たない。

身も蓋もない言い方をすれば、いるかいないかを決して認識できないなら、いてもいなくても同じだ。「いる」と思えることで生活に役立つならばそれで充分だろう。『ベルリン・天使の詩』はそれがいるのだということのファンタジーで、だから、人間になってしまった主人公の天使が恋した女の子のためにしてやれることといえば、よくある下らない愚痴に延々とつき合ってやることなのだ。

自分ががんばっているのを誰かが見ていてくれると思えることは、非常に重要らしい。そういう意味で、自分の部署では孤立無援の中途入社にとって、同期というのは貴重な存在だ。夜中に飲みながらいろいろ話を聞いていて、きっとあの天使くらいにはこの人の役に立てるのかもしれないな、と思ったりした。それだけじゃなくて、彼女は、同じように私の話も聞いてくれたりする。いるかいないかわからない図書館の天使より、白ワインのボトルを一緒に開けられる友人の方がありがたい。

止められない2008-02-16

開口一番「止められるか?異動でも昇級でも何でもできるが」と問われ、意志は固いですと答える。お世話になった人だけに心苦しくもあり、この会議室からの眺めは好きだったなと思いながら頭を下げた。嵐の夜に喫煙所から眺める滲んだ夜景とか、あるいは煌々と明るい東京タワーとか。あー…これで本当に転職するのか…まだ信じられないような気分だ。しかも、この後も色んな手続きが待っているとは。

しこたま飲んで踊って友達んちで寝て起きたら晴れていた。うちひとりが途中で帰ったんだけど、いつ帰ったのか思い出せないところを見るとマジで酔っぱらっていたんだろう。「この曲いい!」と思ったアーティスト名を覚えておこうと思ったのに、それもさっぱりだ。アゲアゲなクラブジャズからチルアウトまでのフルコース、こんなに笑ったのはいつ以来だと言うくらいよく笑った夜で、久々にナイトライフを楽しんだら気が抜けてしまった。週末はすでに半分終わりかけている。
今夜はおとなしくYusef Lateefでもかけておきますか。そういえばこのあいだ、国立新美術館の地下のミュージアムショップで、「スパルタクスの愛のテーマ」のカヴァーが流れていた。キューブリックの『スパルタクス』で使われた曲だ。Yusef Lateefのオリジナルが聴きたくなったが、Napsterでアルバム"Eastern Sounds"を見つけることができない。微妙に代表作をはずしてくる癖は何とかならんのか、Napster…。

Nevermore2007-12-26

オスカー・ピーターソンが死んだ。

マイケル・ブレッカー、アンナ・ニコル・スミス、もうデリダが弔辞を読むこともないのかジャン・ボードリャール、ニーバーの祈りを教えてくれてありがとうカート・ヴォネガット、ジャン=ピエール・カッセル、エリツィン、取材に行くところだったなんてデヴィッド・ハルバースタム、ロストロポーヴィチ、キャリー・ベル、まだ若いディエゴ・コラレス、大庭みな子、ジャン=クロード・ブリアリ、リチャード・ローティ、アルバート・エリス、カール・ゴッチ、ミケランジェロ・アントニオーニとイングマル・ベルイマン、ビル・ウォルシュ、マックス・ローチ、パヴァロッティ、アニータ・ロディック、ジョー・ザヴィヌル、ヘリの墜落なんてあんまりじゃないかコリン・マクレー、やはりまだ若い阿部典史、三川基好、デヴォラ・カー、撃たれて死んだなんて少し泣きそうになるじゃないかラッキー・デューベ、クン・サ、ジャンフランコ・フェレ、今年何冊か読んだばかりなのにノーマン・メイラー、読んだことはないけどアイラ・レヴィン、モーリス・ベジャール、生きていてほしかったカールハインツ・シュトックハウゼン、ジュリアン・グラック。

去年はクリスマスイブにジェームズ・ブラウンが死んで、年末はずっとジェームズ・ブラウンを聴いていたような気がする。今年はオスカー・ピーターソンか。ドアに「もう戻らない」とメモが残された酒とバラの日々。