Bacchus2008-08-09

ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』の天使は、オールバックの髪を一つに束ねたロングコートのおっさんで、人々のそばにただいて、目撃し、声にならない声を聴いている。うしろすがたのしぐれてゆく老人の後ろを、同じような足取りでついていくおっさんが天使だ。人々は彼らの存在に気がつかず巨大な図書館で本を読む。

どっかの雑学本で読んだ話で、ドイツのある統計では自分には守護聖人/守護霊みたいなものがついていてくれると思っている人が50%を超える、というのがあった。守護聖人とか守護霊とかいうと、地縁血縁的な何かとの繋がりを意識しているように聞こえるけど、『ベルリン』の天使は、そういう繋がりとは切り離されたところで成立している守護聖人のようなものかもしれない。都会の話だし、ヒロインはサーカスの踊り子だし。

古代ギリシアの演劇にはコロスという合唱隊がいて、劇中の背景説明や表だって表現されない心情や見ている側の嘆きまで、ぜんぶ代弁してくれる。これは大変に便利な代物だ。それに較べると『ベルリン』の天使は実に役立たずだ。見てるだけ、聞いているだけで、誰かにそれを伝えてくれるわけではない。最強の証人だが証言台には決して立たない。

身も蓋もない言い方をすれば、いるかいないかを決して認識できないなら、いてもいなくても同じだ。「いる」と思えることで生活に役立つならばそれで充分だろう。『ベルリン・天使の詩』はそれがいるのだということのファンタジーで、だから、人間になってしまった主人公の天使が恋した女の子のためにしてやれることといえば、よくある下らない愚痴に延々とつき合ってやることなのだ。

自分ががんばっているのを誰かが見ていてくれると思えることは、非常に重要らしい。そういう意味で、自分の部署では孤立無援の中途入社にとって、同期というのは貴重な存在だ。夜中に飲みながらいろいろ話を聞いていて、きっとあの天使くらいにはこの人の役に立てるのかもしれないな、と思ったりした。それだけじゃなくて、彼女は、同じように私の話も聞いてくれたりする。いるかいないかわからない図書館の天使より、白ワインのボトルを一緒に開けられる友人の方がありがたい。

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