宇宙までの飛距離2008-08-11

七、八年ぶりに"Ladies And Gentlemen We Are Floating In Space"のラストナンバー"Cop Shoot Cop...."を聴いて、ちょっと泣きそうになった。
"Ladies And Gentlemen We Are Floating In Space"はSpritualized=ジェイソン・ピアースの持っている特殊性と一般性がいちばんちょうどよかった頃の傑作で、当時の根暗ロック好きなら知らない人はいなかった。今聴いても全然いける。

その昔、PINK FLOYDにシド・バレットという伝説的な男がいた。活動期間は短いし残っている作品数は多くないが、とにかく伝説的だった。ポール・マッカートニーだのデヴィッド・ボウイだの、そうそうたる面々がシド・バレットのすごさを語っている。若く、才能があり、ついでに言えばえらい美男子だったシド・バレットはしかし、三十そこそこで音楽業界の表舞台にはまったく姿を現さなくなり、イギリスの片田舎で隠遁生活を送って2006年に死んだ。ここ二十年くらいはたまに大衆紙が「あのシド・バレットの今!」って感じで写真を出すくらいで、ほとんど話にも出なかった。

もしジェイソン・ピアースが"Ladies And Gentlemen We Are Floating In Space"で引退していたら、2000年代のシド・バレット枠(=サイケデリックな不在の才能)はジェイソンだったんじゃないか、とちょっと思う。
わりに端正で、ジミ・ヘンドリクスの轟音ギター中毒をそこだけ突き詰めたようなサイケデリックなノイズ、内向からいきなり宇宙へ飛んじゃう展開、ちなみにSpiritualizedというバンド名はアブサンのラベルから取ったそうだ。
もっとも、シド・バレットがヘンリー・ミラーくらいの飛距離だとしたら、ジェイソン・ピアースはロレンス・ダレルくらいかもしれないが。

不思議なのは、PINK FLOYDもそうなのだけど、「宇宙」とか「精神」とかそういう単語を多く用いられるサイケデリックなロックのヴォーカルはどうして、さして歌心があるとも思えない、その辺の兄ちゃん然とした声と歌い方なのだろうということだ。ジェイソン・ピアースは決して歌がうまいわけではない。声だって普通だし、歌詞だって、深淵というより内向きな繰り言の感が強い。

ヒッピー・ムーブメントとドラッグの関係は得てしてアメリカ的なプラグマティズムで語られる。修行僧が身体を痛めつける苦行の果てに至る境地に一瞬で連れて行ってくれるドラッグの、その物質的な平等さだ。ある種の宗教音楽が徹底的に荘厳で、ちょっとやそっとじゃ太刀打ちできない感じがするのに対し、サイケデリックはえらい地に足がついている。ほとんどすべての宗教は、やりすぎなくらい厳粛に観念の伽藍を理論として打ち立てるものだが、ドラッグにはそれがない。そのため、確立した体系にガードされてないもっと剥き出しなところから、一足飛びに宇宙へ行けてしまうのだ。

80年代終わりから90年代の初めにかけて、シューゲイザーと呼ばれる一群のアーティストがデビューした。中毒性のある轟音ギターとポップなメロディが身上の内向的なロックで、演奏するときでさえ自分の足元を見つめているかのようなMy Bloody ValentineやSwervedriverがそう呼ばれていた。
ジェイソン・ピアースはほとんど伝説的なシューゲイザーバンドSpacemen3のひとりだった。サマソニの舞台では靴こそ見つめていなかったものの、最初から客席を見ない方にマイクを向けていて、全然動こうともしない。セットリストの最後は、嬉しいことに往年の名曲"Come Together"から"Take Me to the Other Side"だったのだが、あちら側へ連れて行ってくれと歌いながら誰のことも見ようとはしない孤独なありようが、そしてそのいっそ拙い歌詞がギターの音圧にかき消されていく様子が、サイケデリックの真髄であるように思われた。あるいは穂村弘の短歌、

「凍る、燃える、凍る、 燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士