安さ2011-04-27

90年代から00年代初めのフィクションというと、『エヴァンゲリオン』とか世界系などの単語を思い浮かべる向きも多いかと思いますが、あまり目立たないところではパルプ復権の時代でした。パルプとはアメリカで50年代ごろまで盛んだった低俗な大衆向け小説誌で、どぎつく煽情的なのが身上、とくればネタはもちろん暴力と死とセックスです。パルプ復権のきっかけを作ったのはもちろんタランティーノ『パルプ・フィクション』でしたが、日本ではちょうどジェイムズ・エルロイのL.A.四部作が訳されてノワール小説なんて言葉が流行ったのもあり、パルプ系の作家が再評価されたり、新訳が出たりもしていたものです。

ジム・トンプスンは中でも抜きんでた評価を獲得した作家です。しかもこの人の場合、大御所が別名でパルプを書いていたとかいうのではなくて、ほとんどパルプ専門。『ポップ1280』『残酷な夜』『死ぬほどいい女』そしてこの『内なる殺人者』と、道具立てだけ見れば安っぽいことこの上ない小説が、それだけではない何かを感じさせるところがあって、S・キングやS・キューブリックが絶賛したという評判に加えて「雑貨屋(と書いてダイムストア)のドストエフスキー」なんてコピーがついていました。

『内なる殺人者』の主人公ルー・フォードは、テキサスの田舎町で保安官助手を務める地味な好青年ですが、町外れに住む娼婦との出会いから坂道を転がり落ちていきます。ジム・トンプスンは一人称でこの保安官の凶行を描いていくんですが、このルー・フォードが何で「これはただのパルプじゃない、実存主義的に凄まじい」と思わせるのかというと――――間抜けだからではないかと。間抜けというと語弊がありますが、スリリングでドラマチックな狂気というよりは、普通に世俗的な、安いロジックが現実的すぎて不気味、というタイプです。

…という流れからすると、なぜ今になって『内なる殺人者』を映画化するのか。というところがまず疑問です。しかもマイケル・ウィンターボトムはちょっと高級すぎです。『ウェルカム・トゥ・サラエボ』とか『ひかりのまち』じゃないですか、ウィンターボトム。どう見ても、安いパルプフィクションの素養ではないと思います。ケイシー・アフレックもあんまり安くない。

でも、娼婦ジョイスを演じたジェシカ・アルバと、幼馴染の恋人エイミーを演じたケイト・ハドソンが、どっちも素晴らしい。ジェシカ・アルバの「学年でいちばんかわいいヤンキーの女の子」みたいな風情がたまらないですね。対するケイト・ハドソンの「その辺にいる美人の上限」なところとか。ジェシカ・アルバのスパンキングシーンだけを目当てに観る人もきっといるんでしょうねえ。

読書中2010-08-14

一日のほとんどを仕事に費やしていると時間の流れがよくわからなくなる。考えてみれば二週間くらい前から腑抜けになりかけている気がするが、状況は少し落ちついただけで、まだまだやるべきことは大量にある。調整計画打ち合わせ、リソースの調達にスケジュールの変更、できあがってきたドキュメントのレビュー、でも何よりもまず、ちょっと頭を冷やして考える力を取り戻すことだ。この数ヶ月プロジェクトの立ち上げに関わっているが、とにかく今週を乗り切ることを考えるという状態になってしまっていた時期があるし、そういうときに下した判断のいくつかはまずい判断だった。

ところで、こういう状態になると、仕事以外の部分で時間が流れるのが極端に遅くなる。メールの返事を忘れていたことに気がつくのに一週間、書かなきゃと思って二週間、という具合に。一ヶ月近く前のエントリで書いたウォール街ネタはまだまだマイブーム(って言葉は定着したってことでいいのかね)はまだまだ続いており、というか普段の水準から考えると始まってもおらず、アンドリュー・ロス・ソーキンの"Too Big To Fail"をそろそろ半分まで読んだところだ。

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』の題ですでに邦訳もあるこの本は、2008年のリーマンショックについて200人以上に行ったというインタビューの集大成で、財務長官ポールソンやリーマンCEOのリチャード・ファルド、NY連銀総裁ガイトナーほか、きら星のごとき金融業界の大物たちが取った行動について、半ば小説仕立てで描き出している。リーマンショックに至った金融システム自体についての説明や考察はほとんどないので、CDSだの流動性だのモーゲージ債券だのを知りたいなら別の本を読んだ方がいい。未曾有の危機を前にしていかに人々が戦ったかを描いているという点で、ほとんど歴史小説のようだ。私は普段、歴史小説をほとんど読まないんだけど、この本は例外的に面白く読み進めることができていて、歴史小説が苦手だと思っていたのは、棚上げにされている事実性とフィクション性の境目の問題だと思っていたのは実は違ったんじゃないかと感じてもいる。

しかし…仕事以外のアウトサイドを取り戻したいときに読んでいるのが、危機に際して昼も夜もなく奔走する人々の話だとは。

序盤、様々な人物が危機に気がつく辺りはサスペンスフルに楽しめたが、Chapter 12まで読み進めて2008年の9月の初め、ファニーメイとフレディマックが財務省の管轄下に入ったところで、状況のあまりの厳しさが少々つらくなってきた。この月リーマンが辿る運命はすでに知っているわけで、ディック・ファルドが韓国産業銀行との交渉を破綻させるところなんて読んでいて何とも言いようがない。たぶんもうちょっと読み進めると、誰ひとり事態の全体像を把握できないし誰にも止められないカタストロフが、いっそ爽快に感じられるんじゃないかって気もするが。

A Muckraker2010-07-18

そんでまた一週間が過ぎた。三連休はすべて仕事だが、少なくともちゃんと眠る。

アメリカでは定期的にウォール街内幕暴露もののヒット作が出るが、その系譜をまとめて整理したいなあとちょっと考えている。今の仕事が金融関連なのもあって、まあ勉強にはなりゃしないけど、そういう本の方が読んでて楽しいし。景気のいいときには「トップトレーダーに学ぶ」本が多く、リーマンショックみたいな出来事の後では「あの時あそこで何が起こっていたのか?」本になる。最近だとリーマン・ブラザーズに勤めていた青年が手記を出していた。出版年月日を金融業界の年表とつき合わせてみれば結構はっきりと傾向が出るだろう。

考えてみれば私はギャンブル本が好きなので、『ギャンブルトレーダー』が言うようにトレーディングとギャンブルが似ているならば、ウォール街内幕本が好きなのも当然だ(この本は今ちょこっとずつ読んでるが、本当は一気読みしてついでにホールデムやりたい)。ちなみにギャンブル本だと"Hustlers, Beats and Others"とか好きで好きでもう…待てよ、サッカー好きじゃないけどサッカービジネス本とかも好きだな。要は虚実いりまじる世界の内幕本が好きだということか、今気付いた。

秘密には力がある。というのは、吉野朔実の『恋愛的瞬間』(今では読まなくなっちゃった吉野朔実のオールタイムベストを選ぶなら3位には確実に入る)のキャッチフレーズだが、知らない内幕っていうとそれだけで虚実いりまじって面白いところはある。きっと今私が働いている会社の内情だって、書く人が書けば面白くなるんだろうな。もしかしたら私が読んでも面白いかもしれない、末端は知らないことが多いし、社内の噂話に触れる環境にもないから。そういえば『金融大狂乱』というリーマン・ブラザーズ内幕本の著者は、例のサブプライムローンとはぜんぜん関係ない部署にいたそうで、危機の前から「ちょっとやばいんじゃないの」という流れがあったという話が出てくる。あれを読んで「そんな部署もあったのか」と思った元リーマン社員だっていてもおかしくない。

ずーっとひとつのプロジェクトにしかいないことの弊害はアウトサイドがなくなることだ。だからこういう本ばっかり読みたくなるのかもしれないが、それで、少しは補えていると思いたい。

Do It All Over Again2010-07-11

気がつけばはやぶさも帰還していたし、夏至はとっくに過ぎ去って、七夕も終わった。W杯は知らないうちに始まって知らないうちに終わろうとしている(あやめさんに見せようと思ったLouis Vuittonの広告はThe Economistから破り取ったままクリアファイルで書類に埋もれている。酒場でサッカーゲームに興じるジダンとペレとマラドーナ)。プロジェクトを掛け持ちしながら新しいプロジェクトの立ち上げに参加する六月がかなり忙しい月になることは予想されていたのだけれど、家主が倒れて入院というアクシデンタルな出来事が重なって、やらなければいけないことに両手を引っ張られ無理やり走っていたような気分だ。ようやくコントロールを取り戻しつつある――――とは言えまだ終わっていないけれど。八月までかかりそうだ。

本当はこういうときはもっと書いた方がいい。他愛ない日常的な雑感なり夜の病院での観察なり、日記でもアレなテキストでも、何だっていいから書いた方が気分的に安定して物事に取り組むことができる。書くというのは少し対象から距離を置いて整理するという側面がある。足がもつれそうに急いでいるときほどわかりやすく効果がある。一度習慣化してしまえば簡単なのだが、失ってしまうと再構築するまで時間がかかる。わかっていて一ヶ月以上が過ぎてしまったから、これから一ヶ月か二ヶ月かけて再構築するつもりだ。

何か書こうかなと思ってnovelist.jpに登録し、古いテキストをアップロードしたりしている(日本でもこういう形式がもっと一般的になるといいのにと思う)。たまに書くと楽しいし、考えていることをネタの形にすると少し片付いたような気分になるから、書いて気が済むなら書く方がいい。それで読んだ誰かをエンターテインできるなら文句ない。…こんなふうに少し前向きになったら『ワインバーグの文章読本』の出番だ。この本の著者ジェラルド・M・ワインバーグはIT関連コンサルタントの元祖みたいな人で、『コンサルタントの秘密』を初めとする何冊もの著作を物しており、ユーモラスで読みやすい文章とともに時折ひどく大事なことを言う。そのワインバーグの文章読本は、これが、IT系の人間しか読まないのがもったいないような本なのだ。

これとつながってはいるが、ちょっと違う話に飛ぶ。

NHKで放映している『ハーバード白熱教室』のマイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』が売れているようだ。私もKindleで読んでいる。これが滅法おもしろくて、時事問題をもとに政治哲学を語っていく手法が実に見事だ。

個別のトピックはさておき、読んでいると、日常いかに思考停止しているかを思い出す。就職してしばらく経った頃、考えることを意図的に中止した事柄がいくつかある。答えの出ない問題、大雑把に言えば真善美だ。答えは出ないだろうと考えていた。絶対的に正しいものとしての神でも仮定すれば別だが、そんなものはない。それでも神なしに正しい答えを導き出すことを無限に遠い目標として置き、考え続けるべきだろうと、その前提を置いたところで考えることをやめた。やめたのは、いちいちそんなことを考えていては日常生活に支障をきたすからだ(日常生活でいちいち根本まで遡らなくてすむというのは、暫定的な正しさとしての法の大きな役割だ)。考え続けるべきだと態度だけを決めてそこでストップというのは捻くれているようだが、考えなければならなくなったらいつでも再開できると思っていた。けど、これもありがちな話だが、結構停止しちゃっていたみたいで、肩凝りみたいに固まっちゃっていたところがいろいろ出てきた。そろそろリストラクチャリングの季節だという予感がある。

The Blue Flowers2010-05-16

午前二時を回ったフロアは暗く静まり返っているが、よく見ると、壁際に並んだガラス張りの会議室のひとつにプロジェクターの光が青白い。白い壁に大写しになったパワーポイント上の文字が、マネージャーの発するコメントに合わせてリアルタイムで修正されていく。言葉尻を拾われないように、メッセージラインを損なわないように。あるいはスピーカーズノートにメモを追加していく。そこ明日までに確認しといてよとかそういう内部的なメモだ。テーブルには人数分のラップトップ、散らばった書類、コカコーラの空き缶とタリーズコーヒーの紙コップ、歌舞伎揚げの空き袋が散乱し、開け放されたブラインドの向こうで夜景が雨に濡れている。昨日も徹夜だったという若い営業の男性、手練れのマネージャー、疲労を隠せないチームリーダー。たぶん、ITコンサルのよくある光景だ。

こういう日々がしばらく続くと、インプットもアウトプットも尽きてしまい本屋に行っても何も反応できないようになるのだが、今回はそこまで行く前に終わった。いや、まだ終わってないのかな。少なくとも今日は終わった。で、昨晩さんざん大手町の丸善で迷った挙げ句に一冊も買わず、わけあって『暗闇のスキャナー』を読み返している。フィリップ・K・ディックの長編で、物質Dと呼ばれるドラッグの蔓延した近未来でおとり捜査官となった男の話。SFっぽいガジェットはほとんどなくて、ジャンキー達がだらだらと暮らしている。おとり捜査官と言ったって派手な銃撃戦や息詰まるサスペンスがあるのではない。自転車のギアの仕組みを理解できないジャンキー仲間とうろうろしているばかりだ。この物語がどうやって終わるのか知っているので、最初の何章かを読んでいると、無闇な与太話が最高にアホらしく幸福で、悲しくなる。

ところで、District 9は絶対に観た方がいいですよ。最高。

The World Cup Melancholy2010-04-03

サイモン・クーパーの『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』が面白すぎ。サイモン・クーパーは優れたサッカージャーナリストで、サッカー自体にさほど熱心でなくてもサッカーを取り巻く諸々に多少の関心がある人ならば必読だ。私が最初に読んだのは『サッカーの敵』だった。これは世界各国でサッカーを取り巻く政治的な思惑や経済的な裏側をじっくり描いた読み応えのある本で、世界各国を飛び回るために紀行文的な面白さもあった。今回の『「ジャパン」はなぜ負けるのか』は経済学者のステファン・シマンスキーとの共著で、各種統計データを元にサッカーの色んな側面を分析しており、目から鱗が落ちまくる上、サッカーだけでなくスポーツビジネス全般の話として読める箇所もいろいろある。『ヤバい経済学』『その数学が戦略を決める』からこっち流行の統計データを元にした分析本でもあり、行動経済学と統計の本は流行りすぎてちょっと食傷気味だったところに、久々のヒット。というところもある。まあとにかくオススメですよ。値段も安いし(この文章を見ていない同僚に向かって声を大にして言いたいが、ハードカバーでこの量なら2,100円は安いんだ!)。

この本の第11章では「ワールドカップのしあわせ」と題してワールドカップがもたらすとされる「経済効果」について非常に現実的かつ辛辣な分析を繰り広げており、章の最初と最後では南アフリカの黒人達の「いつか俺たちを豊かにしてくれる誰かがやってくる」という幻想が語られる。2010年のワールドカップが南アフリカにどれだけの経済効果をもたらすかと言うと…まあ、この十年くらいで常識として認知されるようになったことだが、経済効果なんてほとんどないわけだ。そこで『インビクタス』ですよ。

『インビクタス』は創作欲が衰える気配のない今や最強の監督イーストウッドの最新作で、南ア大統領となったネルソン・マンデラが、世界的に見たら弱小チームのラグビー南ア代表を励まして、結果、南アで開催されたラグビーW杯において優勝、歓声がスタジアムを揺るがし国中がひとつになる…という実話を元にした映画だ。ちょっと地味ではあるんだけど、"Invictus"という一篇の詩がもたらす力を静かに強く描いている。往来で浮かれ騒ぎパブのテレビを食い入るように眺める、肌の色の違う人々。ただ、その後の南アの状況は決してトントン拍子に行っているわけではなく、経済的な格差も解消されたとは言い難いし、犯罪率の高さは今でもトップクラスだ。そして2010年W杯。イーストウッドはなぜこのタイミングで『インビクタス』を撮ったんだろう? 今年のW杯のことを念頭に置いていなかったはずがない。

クーパーとシマンスキーによれば、日本と韓国で共同開催されたW杯の視聴率はヨーロッパで大変に悪く、というのも時差がよろしくなかったと。南アなら季節は逆でもさほどの時差はないから、視聴率を稼ぐという観点からはありがたい。一方で、W杯だのオリンピックだのはとかく「莫大な経済効果をもたらす」として誘致されるんだけど、実際には借金と無駄な施設ばかりが残ることは目に見えていて、深刻な貧困問題を抱える南アのような国に魔法をかけてくれることはない。

ところで、映画『インビクタス』は経済問題についてはまったく触れず、人種を問わずひとつの国として困難を乗り越えていこうという希望で終わった。それで現実を見れば、"Invictus"はある瞬間国民をひとつにしたかもしれないが、失業率は変わらなかった。観客はすでにそのことを知っている。ネルソン・マンデラが監獄で過ごした27年間の月日の中で一条の光となった詩の言葉、その背後にあった圧倒的な闇こそが、あの映画を成立させているものだーーーと、映画を観た直後は思ったけど、この本を読んでそれだけではないのだと気がついた。映画はそこで終わるが、1994年のラグビーW杯のその後が南アにはあったのだ。映画で描かれないその後は一篇の詩の無力さでもあるだろう。『インビクタス』は本当は、それも込みで観るべき映画だったんじゃないかという気がしてならない。限りなく偉大で、どうしようもなく無力な、魂の指揮官の詩だ。大統領を辞して十年が過ぎたマンデラは、どういう気持ちでこの6月を待っているのだろう?

アドレナリン・ジャンキー2010-03-22

『ハート・ロッカー』はクリス・ヘッジスの引用で始まる。クリス・ヘッジスの著書『本当の戦争 すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』は戦争に関する437の質疑応答で構成された本だ。戦争および軍隊生活の実際だけではなく、憧れを抱いてしまうような友情や都市伝説めいた陰惨な話まで、戦争映画でありがちなネタの実状を簡潔に説明してくれる本で、事務的とも言える説明の連続だけど、面白い本だ。
ありがちなネタの実状がどんなふうに解説されるかと言うと、たとえばQ305。「下士官や兵卒が上官である士官を殺すことはありますか?」答えはこうだ。「どんな戦争でも、下士官や兵卒は士官を殺している。たいがいの場合、その士官が無鉄砲すぎるか無能であるために、部下の生命が危険にさらされたからだ。士官を"手榴弾でばらす"(フラッギング)という隠語は、ヴェトナム戦争中に生まれた。(中略)ヴェトナムで死んだ士官の二〇ないし二五パーセントが下士官や兵卒によって殺されたことになる。」
映画の冒頭で引用されるのは戦闘の昂揚感、ひいては戦争の中毒性についてだ。"War is drug."と言って映画が始まる。そうか、キャスリン・ビグローはクリス・ヘッジスを読んでるわけか。なるほど読んでるだろうなあ。

2004年のイラク、ブラボー中隊の危険物処理班の任期終了までの一ヶ月少々を描いたこの映画は、ドキュメンタリーっぽい映像でタイトな演出のサスペンスが続き、戦闘状態の緊張感を追体験できる戦争映画だ。危険物処理といっても『クリミナル・マインド』で出てくるような洗練されてはいるがガジェットめいたものではない。白茶けて乾いたゴミの散らばった街中に爆発物。三人一組の危険物処理班は、ひとりが爆発物の処理を行い、二人が援護する。物陰に潜んだ誰かが見張っているかもしれず、周囲に集まってくる民間人の誰かがスイッチを持っているかもしれず、タイマーがついているかもしれず、この爆発物も罠かもしれない。彼らは敵地にいるが敵の姿は見えず、爆発物という脅威だけが地獄のような日差しの下にある。いやホント、見ていて疲れるタイプのアクション映画。

物語は危険物処理班の班長の死から始まる。残されたサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵の新たな上官となるのは、873個の爆発物を処理した記録の持ち主ウィリアム・ジェームス軍曹で、最初の任務からとんでもない有能さと命知らずぶりを発揮して班員をハラハラさせる。ジェームスは明らかにやりすぎている。ヒロイックなところも見せはするが、はっきりと無鉄砲で、常にやりすぎで、「そんな無茶を続けていたら死んじまうぞ」というアクション映画のお約束がそのまま実現してしまいそうだ。あんなに慎重だった前の班長も後一ヶ月のちょっとのところで命を落としたのだ。彼らは最初はジェームスの好戦的な姿勢にうまく行かないが、やがては、チームとしてともに危機的状況に立ち向かい切り抜け、ちょっとした仲間意識さえ持つようになる。しかしジェームスの行動は、チームを思ってもみなかった危険に晒すことにもなるだろう。

で…これどう思えばいいのか。この映画にヒーローがいるならジェームスで、そのジェームスは明らかにコンバット・ハイの中毒だ。それだけならよくある話だが、完璧にジェームスを称揚するわけではなく一定の距離を置いた描き方をしているので、観客は単純にジェームス最高! あれぞ男の中の男! …という気分にはなれない。ジェームスよりむしろ、彼がどこまで行ってしまうのかとハラハラしながら援護するサンボーンに感情移入してしまいそうだ。この点はたぶん娯楽映画としてはマイナスになるようなところだけど、ドキュメンタリー風味にイラク戦争の追体験を提供し、ついでに戦争の現実を見たような気分になる映画としては、プラスに働いている。
で、二時間のあいだぞくぞくするようなスリルと上官としての不適切な判断と感情的な行動につき合った後で、どう思えばいいのか。戦争における英雄って結局こういう男でしょ、ってことなのか? その割りには、この映画のラストは明らかにジェームスを突き放してはいるけども、決して否定はしていないのだ。こういうコンバット・ハイ中毒をたくさん作り上げる戦争の何が楽しいの、ってことなのか? …それを、スリリングな砂漠の狙撃戦が見せ場になるようなエンターテイメントでやるのは難しい。それにジェームスは、そういう変化を描かれるのではない。登場した瞬間から最後までそうなのだ。母国での生活は図式的なくらいくっきりと、平和で慎ましいものとして描かれていて、ジェームスの人間らしい部分を強調したりはするのだが(まだ何もわからない子供に向かっての独白はいいシーンだった)。

そういう意味では、きわめてシビアな映画ながら、まだ、本当に見たくないものは出てこないある種のエレガントさがあって、そこはドキュメンタリー風の戦争告発映画としてはマイナスに働く点だけど、エンターテイメントとしてはプラスだ。いちばん見たくないのは----いちばん見たいのは、たぶん、サンボーンのような男が気がついたらジェームスのようになっている話だ。あるいは、サンボーンのような男が、国に帰って結婚して子供を作り幸せな家庭を築き上げ、しかし除隊しても仕事が見つからず、民間軍事会社に就職してイラクに舞い戻るハメになる話だ。エルドリッジのような男がPTSDと折り合いをつけられずに社会からドロップアウトする話だ。アドレナリン・ジャンキーに殉じることのできなかったジェームスが、家庭と社会の中でゆっくりと静かに狂気に染まっていく話だ。アドレナリン・ジャンキーに殉じたジェームスが、「今日は誰かを殺したい」と口走るような男になった挙げ句、戦争犯罪で裁かれ見苦しい言い訳を並べ立てるようになる話だ。この映画はそのどれでもない。

『映画秘宝』で「キャスリン・ビグローは腐女子か!?」なんて書いてあったのを見たけど、もしビグローが腐女子だったとしたら、趣味が合うようで合わないな。ビグローが好きなのはどう見てもアドレナリン・ジャンキー型だ。…それにしてもアレだな、元旦那の『アバター』もIMAX 3Dで鑑賞はしたのだが、とてもじゃないがこんなに話すこと残らなかったな。たちの悪い夢だったというだけで。

Votre Musique2010-02-27

『ゼロ年代の音楽---壊れた十年』の冒頭、「〇〇年代の孤独」と題した野田努の論考で、NME、The Guardian、Pitchforkの3メディアの2000年代の10年間のチャートを挙げている。The Guardianの1位であり、野田努がこの本の中で絶賛しているのがThe Streetsだ。恥ずかしながら私ははじめて聴いた。

いちばん売れているのは最初のアルバムである"Original Pirate Material"で、これは私もベストだと思う。野田努の評を引く。物語が否定され、シニカルな傾向を強めたこの時代において、スキナーは臆せず物語を語った。それは午前3時にクラブをうろついている人間の、路上に吹き曝されているちっぽけな物語の数々だ。スキナーはそれらを大切に拾い上げ、最新のガラージ・サウンドのうえでペンを走らせる。「セックス、ドラッグ、失業保険」---USラッパーの迫力と比較するとずいぶん見劣りする冴えないストリート・ライフに、この抒情詩人はとびきり優しい光を当てる。 なるほど、確かに。この評だけでも、ある種の音楽を漁る趣味の人には、ちょっと聴いてみようかなと思わされるんじゃないかと。

さて、私の個人的な感想としては、2008年のアルバム"Everything Is Borrowed"の1曲目、タイトルトラックが色んな意味で引っかかった。この曲ではガラージっぽさは薄れて、アレンジも割りと大仰だ。shabbyでcrummyなストリートライフに当たる優しい光。とかいうささやかなものではない。もっと勢いよく前向きで肯定的な詩を歌っている。

何も持たずにこの世に生まれ落ちた
そして愛以外何も持たずにこの世を去るんだ
ほかはぜんぶ、ちょっと借りているだけのこと

何を思いだしたかというとThe Verveの"Bitter Sweet Symphony"だ。人生はビターでスウィートなシンフォニーだという実にストレートで肯定的で感動的な歌詞が、単純で叙情的なメロディラインと、派手なオーケストラアレンジで歌われる。そういやあんまり歌がうまくないのも近いな。この曲、けっこうヒットしたのだけど、何じゃそりゃー!という気分になったのを思い出す。あんたこの間までいかにもドラッグやってそうな感じだったじゃん! 前向きになるにしても「俺はこれまで本当にしょうもない人生を送ってきた。でも今度こそ、今度こそうまくやりたいんだ」くらいの慎ましさだったのに! あんまりにも前向きになられると、経済的な成功がもたらす力の範囲を超えて「…どうかした? 何か変な宗教とかはまってない?」て気分になるじゃないか。いや大人になるってことかもしれないが、ヤンキーのお兄ちゃんが生き急ぐように「いつまでもバカやってらんねえよ」と言うようなもんなのかもしれないが、人が前向きに生きていこうとしていること自体を否定したくはないんだが…と、思わされたものである。

これって間違いなく、UKのストリート上がりのミュージシャン達の「大人のなり方」あるいは「人生の受け入れ方」あるいは「世界の肯定の仕方」のひとつの類型なんじゃないかという気がする。単調なメロディの反復とオーケストレーションによって歌われる世界の肯定。The Streetsに関して言えば、真髄を味わう前に結論を知ってしまったようで、若干居心地が悪いけど。

Moving is tranquility.2010-02-08

情けないことに『すべての美しい馬』を読み進める時間さえろくに取れていない----おかげでジョン・グレイディとロリンズの二人はいまだ途上にあり、まだまだ先は長そうだ。いっそこのまま、ずっと馬上にあってくれてもいいのだが。馬に乗って南へ向かう二人の青年と、空は広く、空気は乾き、夜は冴え冴えと暗く遠くに稲光、コヨーテの遠吠え、焚火の赤さが目に沁みるような世界を、ずっと旅していてくれという気分になってきた。どこにも辿りつかなくてもいい。西部の描写に『ブラッド・メリディアン』がこだまして、まだ抜け出せていない気がする。

デヴィッド・リンチが映画化した小説『ワイルド・アット・ハート』は、これはもう断然バリー・ギフォードの原作に軍配が上がるのだけど、あれの帯は「動いているあいだは、俺たち、大丈夫だ」とか何かそんなのだった。わかる気がする。ただ移動していることが大事で、どこに辿りつくかは問題じゃない。

それで、牧場に辿りついたその先をなかなか読み進むことができないでいる。

Short Time Reader/Sleeper2010-01-29

今日はもう会社用のPCは開けないぞ。日付はもう変わったが、眠るまでは今日だ。

やたらと働いたが、今週はきちんと終わった。おかげさまで家主の具合はすっかりよくなった。働きづめだったので、ずいぶん前のことのように感じる。20時ごろは疲労のピークであくびが止まらなかったが久々の本屋巡回をしているうちに目が覚めた。帰りの電車で『ブラッド・メリディアン』を読み終わり、重たい衝撃に眠気が飛んだ。あらすじを書いても意味のない小説だが、あれだけのページ数を読み進めてきて、まさかあんなふうに終わるとは。なんてこった。

来月はホント忙しくなる。一週間に一冊ずつボーダー・トリロジーを読むつもりでいたが、二週間に一冊くらいのペースになりそうだ。他にも読みたい本は山ほどあり行きたいところもあるのだが、急き立てられるように仕事していて、これはひょっとしたらチャンスなのだろうか? と思う瞬間がときどきある。

ちなみに本日の衝動買い。

…の4冊を職場近くの本屋で購入。上の2冊は山形浩生のオススメだったので立ち読みし、面白そうなので即購入。『戦場の掟』はイラク問題なんかで注目を浴びた民間警備会社のノンフィクション。『その科学が成功を決める』は統計や実験に基づいた心理学の話のようで、それほど新味が期待できるとは思っていないが、ビジネス書と絡めて書かれてるふうの帯についつい買ってしまった。

ぜんぶ読んでるうちに来月が終わっちゃいそうだな。