Lizards on the Limestone ― 2009-10-13
ゴゾ島の西岸にあるAzur Windowは岸壁が浸食されてできた巨大なアーチで、深い青色の海と空をその向こうに覗くことができる。若いドイツ人観光客がはしゃいで写真を撮っていた。このアズール・ウィンドウへ向かう途中に石切場がある。ゴゾ島の石造りの家々を造るために石を切り出した痕跡が生々しく覗き、そこだけが自然から切り離されて見える。さて、ここで切り出された石というのは、まず間違いなく石灰岩だ。
マルタは石灰岩の国だ。ゴゾ島の中心地ヴィクトリアの旧市街を歩いていると、城壁にぽこぽこ穴があき、また、貝殻がそのままの形を残して埋まっているのが目につく。持ち上げてみるとものすごく軽い。石灰岩だ。ヨーロッパでいちばん古いという紀元前3600年から3000年の巨石神殿も残っていて、これらの石は触れてみると驚くほど滑らかで柔らかい。あれも石灰岩(ちなみにマルタ島のハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿は風化を防ぐためかドーム状の屋根で覆われており、興を削ぐ。ゴゾ島のギガンティーヤ神殿は大丈夫だったので、こちらの方がおすすめかも。まあ、あんな軽い石じゃ、5000年も残ったのが不思議なくらいだから、保護するのはわかるんだが)。さらに、リゾートタウンのスリエマには、実はビーチがほとんどない。あるのは波に洗われた岩場で、裸足で歩いても痛くないほど柔らかい。昼間のあいだは直射日光に晒されて熱くなっても、夜になれば足の裏に心地いい冷たさだ。これも石灰岩。
こうした石灰岩が多いおかげか、これまでの人生で見たのと同じくらいのトカゲに遭遇することになった。彼らは石灰岩の上でのんきに身体を暖めており、人が近くと蜘蛛の子を散らしたように逃げていき、そこここの隙間に潜っていくのだ。たまに動きが鈍い奴もいて、人間と数メートルを隔てて城壁の上、ゴゾ島の畑と丘陵、遠くに地中海を臨んで這いつくばっている。鮮やかなグリーンのトカゲも多く、あちこちに生えたサボテンと相俟って、ここが異国なんだなと強く感じさせた。
The Dark Shadow ― 2009-10-12
カラヴァッジオはすぐにかっとなるタイプだった。伝記を読むと、絵を描いていなかったらごろつき同然だったんじゃないかと思う。酒場での諍い、脱獄、決闘の挙げ句にローマから逃げ出すことになる。まずはナポリ、それからマルタ島だ。
マルタ島にカラヴァッジオが滞在したのは半年に満たないにも関わらず、そこでは次々に絵を仕上げたらしい。ほとんどは離散しているが、二枚をヴァレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂で見ることができる。一枚は"The Beheading of St John the Baptist"、もう一枚は"St Jerome Writing"だ。
ヨハネの斬首の方は大作で、縦が四メートル横が五メートル。ヨハネは裏路地で首を斬り落とされようとしている。地面に置かれた剣はすでに使われたはずなのだが、一滴の血もついていなくて、そこだけスポットライトで照らし出したみたいな淡い光を反射して銀色に光っている。サロメ付きの侍女が金色の盆を差し出している。この絵、思った以上に大きくて、ずっと眺めていると右側の方なんか結構がらがらなんだなあと目につく。たぶん舞台美術だからだろう、後ろの扉だって大道具のようだ。歌舞伎っぽい。演劇的な止め絵の美学だ。これまで見たことのあるカラヴァッジオの絵はどれもこれほど大きくなかったので、その舞台っぽさに驚いた。
もう一枚の聖ジェローム、こちらは展示室のライティングのせいもあって実物はもっと暗く見える。おかげで光はより明るく、影はより暗くなり、ぼんやりとした暗闇から聖ジェロームが浮かび上がってくる様は、到底何かを書いているようには見えない。手元は暗いし。禿げかかった老人なのだが、象牙のような裸の上半身が無駄に色っぽく、腰から下を覆う厚手の赤い布がまたきれいで、何とも艶がある。カラヴァッジオの描いた若き日の予言者聖ヨハネなんかもそうなんだが、宗教画にこんな色気があっていいんだろうか。
薄暗い展示室を出ると昼のマルタはなかなか強烈な日差しが照りつけていて、サングラスなしでは表を歩けないほどだ。眩しくて目が開けられない。その分だけ濃い影が街路に落ちて、カラヴァッジオがその後シチリア島へ渡ったことを思えば、このマルタ島はカラヴァッジオの訪れた南端だったのだなと考えた。
すすきかるかや秋草の ― 2009-10-11
マルタの芒は背が高い。四メートルは優にあり、背が高いやつは二階の窓くらいのところで揺れている。
いやススキと言ってはみたが、実際に何なのかは知らない。見た目はススキに似ているが、穂の部分は、東洋のススキのような柔らかなハタキ型ではなくて、固い筆先か炎を象った蝋細工みたいだ。あれは何て言うのとゴゾ島のタクシードライバーであるルーベン氏に尋ねてみたところ、イタリア語ではアッカとか何とか言い(スペル聞いたが忘れてしまった)、英語ではbambooと呼んでいる、とのこと。二階ほども高さのあるススキが狭い谷間を埋めるように揺れているのはなかなかの壮観だ。
市街地を離れると地中海的に荒涼とした丘陵が続くマルタでは、草原と呼べるものがほとんどない。小麦はイタリアから輸入し、畑で作っている穀物は家畜の餌となるそうだ。発電所はあるらしいが、水はどうしているのか、水道水が不味い。たぶん海水を淡水化して使っているんだろう。ススキは群生して金色に揺れているが、背が高すぎて草原という感じはあまりしない。若山牧水の選んだ秋草のさびしききわみは吾亦紅とススキ、刈る萱だったが、マルタ島ではススキはでかいし吾亦紅は薊で代用することになるだろうし、どうも寂しいというよりはワイルドな感じになるだろう。
ちょうど着いた晩が中秋の名月だったので、車窓から眺めるススキの生い茂る様に、ここでも秋にはススキなのかなとぼんやり思ったのだった。だがマルタ島の秋は無花果と柘榴だろう。収穫の季節らしくあちこちで実をつけていたし、移動式の八百屋がトラックの荷台を開いた店先に並べていた。シーズンの終わりとはいえマルタの日差しは日本よりはるかに強く、日中はサンドレスかショートパンツにサンダルでちょうどいいくらいだった。それでも夜の風は肌寒く秋を感じさせたが、秋というシーズンはきっと夜にしか存在しないんだろう。冬が来るとゴーストタウンのようになるよ、とルーベン氏は言った。
季節の移り変わりを細かいところに探すのは、こりゃ日本人として培った文化的習性なんだろうな。
Sahha ― 2009-10-02
明日から休暇。マルタ島へ行ってきます。
マルタ島に決めたのは、準備がそれほど大変じゃないことと、それとカラヴァッジョがあるからだ。一度行ってみたいとあこがれを抱く土地ではないが、池澤夏樹の『見えない博物館』のことはちょっと思い出したかもしれない。
それでもマルタはまだ静かだった。ヴァレッタの裏通りは森閑として時おり子供たちが一団となって駆けぬけるばかりだったし、マルサムシェット湾をへだてたスリエマの町でも表通りから一歩入れば暫時の客には手の届かない静かな生活があるようだった。旅行者という身分でゆく時、どこの土地でも開かれる扉はほとんどない----またもそう告げられた思いでこの小さな島を離れた。マルタ語で別れの挨拶は「サッハ」という。
だから知ってるマルタ語はこれだけだ。
たいていの人 ― 2009-05-14
理想の女上司をひとり選べと言われたら迷わず『消されたヘッドライン』のヘレン・ミレン。予告編しか見ていないけど。御年64歳のヘレン・ミレン、しゃんとして媚びのない姿がいい。それに枯葉のような声。"The real story is the sinking of this bloody newspaper!"
ヘレン・ミレン演じるジェーン・テニスンや、ジュディ・デンチ演じるMのいるイギリスには、もちろんエリザベス女王がいてマーガレット・サッチャーがいたのだが、もうひとりいたのをすっかり忘れていた。ミス・マープルだ。この、もののわかった品のいい節度ある老嬢は、どうしてどうして、とんでもない洞察力と世界観の持ち主だ。
「わたしの言いたいのはね」とミス・マープルはかすかに眉をよせて、編み目をかぞえながら言った。「たいていの人は悪人でも善人でもなくて、ただとてもおばかさんだってことですよ」
あるいは甥っ子のレイモンドに向かって言うには、
「人間なんてみんな、似たりよったりですからね。ただ、都合のいいことに、あなたがたがそれに気づかないだけで」
『火曜クラブ』から。家主がこんな老婦人だったらおちおち遊んでもられないな。幸か不幸か、家主は私と同じような「たいていの人」だ。
混ぜるな危険 ― 2009-03-28
出張先で買ってきたSpooksのシーズン6、ようやく第6話まで来た。英国情報局保安部の中でも国内テロ対策をメインとする5課の架空の部署、セクションDを舞台とする単話完結もの。1時間でやるのか!という詰め込み系の濃いプロットと、登場人物が容赦なくひどい目に遭うのが特徴の、BBC放送のテレビドラマである。
シーズン6はイランがメイン。前半の3話までは、イランとイギリスが和平協定を結ぼうとするところに大掛かりな茶々が入る話。4話からはイランの核武装を食い止めようと奔走する話。イランについては、諸外国と比較すると日本はある時期まで比較的有効な関係を保っていた…ように記憶するが、最近のことは知らない。ニュースで聞くのはむしろ焦臭い話ばかりだし。
このシーズンでは、まだルーカス・ノースは出てこない。メインのオフィサーは金髪に甘い顔立ち、健康的にマッチョなアダム・カーターである。シーズン4で愛する妻を喪い悲しみに暮れ、シーズン5では住み込みで雇ってるナニーにぐらっと来たりしつつも、何とか頑張っていた。が、このシーズン6では、色仕掛けで近づいたイラン特別領事の妻にどっぷり嵌ってるわ、同僚のロス(仕事一筋の鉄の女)に甘ったれるわ、いいところまるでなし。外国人の考える「ダメなイギリス男」の典型みたいな気がするんだけど、気のせい?
逆にロスは姐さんと呼びたい貫禄といっそうの凄みを身に付けている。各国の重要人物とスパイで構成されるというヤルタとかいう組織にスカウトされ、二重スパイ行為に手を染めている。6話ではヤルタの手口に嫌気がさしている風だったから、今後はどこにも頼れない孤独な戦いになりますなあ。
ロスは、1話冒頭が、いきなりアダムとの逢瀬の翌朝シーンだった。イラン特別領事の妻のおかげで窮地に陥ったアダムのことも助けに駆けつけてくれて、滅多に聞けない叫び声まで出している。普段見せない感情的な一面を見せるなんて、ロスはアダムのことが好きなのか…という話になりそうではあるんだが、シーズン5の頃のアダムならともかく、シーズン6は半分を超えてまだ立ち直る気配がない。ロスのように肝の据わった大人の女が、何が楽しゅうてアダムなのか。
どうも本国ではシーズン6は売れ行き芳しくなかったそうで、それが原因でシーズン7ではメインの男性オフィサーの交代とシリーズの短縮があったんだろうなーと思われる。アダム中心のドラマ作りに行き詰まってしまうと、ロスは鉄の女すぎて共感を呼びにくいし、シーズン4を支えたルースとコリンとザフは揃っていなくなっちゃったし。やはり続いて面白いのはシーズン5くらいが限度なんだろうか。ルーカス・ノースが目を引いて見始めたドラマだったけど、アダム・カーターも別に嫌いではなかったのに。熱い男と冷たい女、という対比だったのが、色恋沙汰なんて持ち込んだら、どちらもぬるくなってしまった。
出張晩ごはん ― 2009-03-01
スケジュールをすべて終えて帰国。私が行くときは現場が荒れているときなので、忙しいのはこれはもう仕方ない。昨日の夜---というのは感覚的には金曜日だったのだが、平日出かけられたのはこの日くらいで、24時をすぎてSOHOからチャイナタウンを歩きまわってナイトクラブのバーでエールを飲み舗道の人混みに紛れて煙草を吸い、スパニッシュクラブが並ぶ裏通りを抜けてホテルに帰る。シャフツベリーアベニューで、女の子の二人組に「レスタースクエア駅はどっちか」と声をかけられた。うん、でももう電車はないと思うよ。
しかし今回気がついたんだけど、私がいちばん好きなイギリス料理はマッシュポテト+グレービーソースのようだ。ここはローカルぽい!というパブを見極めてソーセージ&マッシュを頼むと、どこもけっこう美味しい。ステーキ&キドニーパイもいいが、当たりはずれが激しいからなあ。
でもそれも週末だけの贅沢だ。平日に仕事終わってからパブに行くと、たいがいキッチンが閉まっている時間なので、食べられるものといえばクリスプ=ポテトチップスだけなのだ。今回いちばん食べた晩ごはんはチーズ&オニオン味のクリスプだと思う。
働く女3 ― 2008-12-21
『第一容疑者』が本命なら、対抗は『Spooks』のようだ。英国情報部MI5の架空の部署セクションDを舞台にした単話完結のサスペンスドラマで、つい二週間くらい前に第7シーズンが終わったところだ。日本でもBS11で放映していた模様。
ロンドン滞在中にたまたま見たのが面白かったのでシーズン4と5のボックスセットを買って帰ってきたのだが、メインキャストに入れ替わりのあるシリーズらしく、やたら目つきがきつくて格好良かったリチャード・アルミタージュは出ていなかった。残念…次回出張時にはシーズン7のボックスセットも出ているだろうから、6と7を合わせて買ってくるつもり。あっちはホントにDVDが安い。(ていうかまだロンドン行かされるのか。そうなのか)
このシリーズではセクションDが英国国内での様々な事件に対処する。対テロのネタがいちばん多く、爆発やら銃撃戦やらもそれなりに含み、かつ脚本もなかなかいい、緊迫感のあるサスペンスだ。よくできたエンターテイメントではあるのだが、同時に、ハッピーな話は多くない。人もよく死ぬし、ドラマとしては五十代のリーダー、三十代の男性と女性のリーダー格がひとりずつ、それと残りのメンバー達というキャストが基本のようだ。
シーズン5からの主要キャストのひとりがロス・マイヤーズで、ちょっと冷たい雰囲気の三十代後半ブロンド美女、オフィシャルサイトのキャラ紹介に"utterly uncompromising, ruthless and will do anything for what she believes to be the 'greater good'."と書かれるような仕事一徹キャラだ。シーズン6までの男性リーダーだったアダム・カーターと色々あったようで、アダムの死について感情的になるシーンなどは少々あるものの、それ以外では仕事してるシーンしか出てこない。笑顔は少なくあるいは作為的で、まだ若い女性諜報員であるジョーが悩んでいれば「私たちは男がしない経験もするわ、彼らよりもタフでなければ」と諭し、アダム亡き後のセクションDのリーダーとしてみずから囮捜査もやる。…イギリス人はこういう女性像が好きなんだろうか。日本のドラマの文法でいえば、あるいはハリウッドの文法でも、好感の持ちようがないキャラになりそうなもんだけど。
見た目で言えばリチャード・アルミタージュ演じるルーカス・ノースの方が好きだが、シリーズとしていちばんオススメできるのはシーズン5と思われる。シーズン6は見ていないがイマイチという評判で、それは、アダムとロスというメインキャストが微妙な関係になってしまったことと無関係ではないだろう。話をドライブするのに職場恋愛が必要だということになったんだったらあんまり面白くないと予想されるし、シーズン7でアダムが死にルーカスが登場したのは、その辺の成り行きを考慮してのことだろう。シーズン7はYouTubeで補完したが、何かこう負け戦っぷりが痛々しい感じになりつつある。
私が気になっているのはロス・マイヤーズのいまいち真面目すぎる感じだ。『ウォンテッド』でアンジェリーナ・ジョリーが演じたフォックスもそうだったが、自分のやっていることが善であると信じ、そのために邁進し、プライベートを犠牲にするセクシーな女たち。懐かしい話だが『ワンピース』のニコ・ロビンなんかもそうかもしれない。生活感なさすぎ、化粧品買ってるとこも想像できない感じ。「正義のためにプライベートを犠牲にするセクシーな男」の話にはないエクストリームな感じを受けてしまうのはどうしてなんだろう?と思うと、やっぱり『第一容疑者』のジェーン・テニスンが頭に浮かぶ。テニスンに較べると、ロス・マイヤーズやフォックスには「犠牲にされているプライベート」を想像させるだけの何かがないのだ。そしてその代わりに「美人」であるように見える。…ワーキング・ミューズ?
六番目の部屋 ― 2008-11-23
ロスコの絵にはキャンバスと絵具しかない。絵具と言ってもMixed Media on Cambusなので、実際には何が入っていたのかわかったものではないが----ロスコは制作中の様子を見られることを極端に嫌ったと言われているし。
テート・モダンのマーク・ロスコ展は時間のせいか案外人も少なく、ゆっくりと見物できた。9部屋に別れていて、メインとなるのは4部屋くらい。暗い緋色をベースにしたシーグラムのシリーズをメインに飾った部屋と、ロスコ版「黒い絵」とでもいうべき一連のシリーズのうち何枚かを展示した6番目の部屋、ロスコにしてはさほど大きくない水彩のBrown on Grayのシリーズを飾った最後の部屋がメインだろうと思う。
カラフルさが身上だったロスコの絵からだんだんと色が消えていき、最後にはロスコは謎の死を遂げたわけだが、それにしても6番目の部屋の黒さはソリッドだった。微妙に形の違う矩形が、黒一色のバリエーションで描かれているのだが、視線が吸い込まれるように黒い。近づいてよくよく見るとキャンバスの布地の目が見え、距離を置いて絵の前を左右に移動すると、光の当たる角度でかろうじて黒さの違いがわかる。ロスコの絵にはガラスのはめ込まれた額縁は向かない。照明の色や人の影が映りこむだけで色合いが変わってしまう。
5番目の部屋にはBlack on Brownというチョコレートブラウンに黒い矩形の絵が展示されていて、6番目の部屋にはそこを通過しなければ出入りできない作りになっている。Black on Brownも相当にソリッドな絵だけど、6番目の部屋を出てきたあとでは、妙にぼやけて見えた。
しかし惜しいのはポストカード類が充実していなかったことだ。マットな質感であの黒い絵のポストカードを作ってくれたら、3セットくらい買い込んで帰るのに。黒い絵は諦めるとしても、ポストカードのサイズを絵に合わせて、白い余白がないようにしてほしかった。いくらテート・モダンでもそれは無理か。
But No Simpler ― 2008-11-19
暮れ方の首都高速では窓の照り返しがいやに感傷的な気分にさせることがあるが、それと同じ角度で朝の7時過ぎに日が昇る街もあるのだ。と、重たいノートパソコンを提げて歩きながら思っている。ところで、物事をシンプルにするには限界がある。
IT業界ではKISSというのがあって、"Keep it simple, stupid!"の略なのだが、この意味するところについては、ほぼ同じような内容のアインシュタインの名言の方が好きだ。物事はできる限りシンプルにすべきだが、それ以上にはするな。
単純化するということは、ひとつの概念の抽象度を上げることで、細部を捨象するということでもある。ひとつの概念が包含するものの範囲を広げることでもあるのなら、見方によっては、物事を複雑化することにもつながる。INSIDE/OUTSIDEの問題だ。ある概念と他の概念との関係性を考えるとき、単純さは概念同士の関係性の単純さにつながるが、ある概念が包括する内実を考えるとその逆になっていたりする。逆もまたしかり。