Sahha2009-10-02

明日から休暇。マルタ島へ行ってきます。

マルタ島に決めたのは、準備がそれほど大変じゃないことと、それとカラヴァッジョがあるからだ。一度行ってみたいとあこがれを抱く土地ではないが、池澤夏樹の『見えない博物館』のことはちょっと思い出したかもしれない。

それでもマルタはまだ静かだった。ヴァレッタの裏通りは森閑として時おり子供たちが一団となって駆けぬけるばかりだったし、マルサムシェット湾をへだてたスリエマの町でも表通りから一歩入れば暫時の客には手の届かない静かな生活があるようだった。旅行者という身分でゆく時、どこの土地でも開かれる扉はほとんどない----またもそう告げられた思いでこの小さな島を離れた。マルタ語で別れの挨拶は「サッハ」という。

だから知ってるマルタ語はこれだけだ。

すすきかるかや秋草の2009-10-11

bamboos

マルタの芒は背が高い。四メートルは優にあり、背が高いやつは二階の窓くらいのところで揺れている。

いやススキと言ってはみたが、実際に何なのかは知らない。見た目はススキに似ているが、穂の部分は、東洋のススキのような柔らかなハタキ型ではなくて、固い筆先か炎を象った蝋細工みたいだ。あれは何て言うのとゴゾ島のタクシードライバーであるルーベン氏に尋ねてみたところ、イタリア語ではアッカとか何とか言い(スペル聞いたが忘れてしまった)、英語ではbambooと呼んでいる、とのこと。二階ほども高さのあるススキが狭い谷間を埋めるように揺れているのはなかなかの壮観だ。

市街地を離れると地中海的に荒涼とした丘陵が続くマルタでは、草原と呼べるものがほとんどない。小麦はイタリアから輸入し、畑で作っている穀物は家畜の餌となるそうだ。発電所はあるらしいが、水はどうしているのか、水道水が不味い。たぶん海水を淡水化して使っているんだろう。ススキは群生して金色に揺れているが、背が高すぎて草原という感じはあまりしない。若山牧水の選んだ秋草のさびしききわみは吾亦紅とススキ、刈る萱だったが、マルタ島ではススキはでかいし吾亦紅は薊で代用することになるだろうし、どうも寂しいというよりはワイルドな感じになるだろう。

ちょうど着いた晩が中秋の名月だったので、車窓から眺めるススキの生い茂る様に、ここでも秋にはススキなのかなとぼんやり思ったのだった。だがマルタ島の秋は無花果と柘榴だろう。収穫の季節らしくあちこちで実をつけていたし、移動式の八百屋がトラックの荷台を開いた店先に並べていた。シーズンの終わりとはいえマルタの日差しは日本よりはるかに強く、日中はサンドレスかショートパンツにサンダルでちょうどいいくらいだった。それでも夜の風は肌寒く秋を感じさせたが、秋というシーズンはきっと夜にしか存在しないんだろう。冬が来るとゴーストタウンのようになるよ、とルーベン氏は言った。

季節の移り変わりを細かいところに探すのは、こりゃ日本人として培った文化的習性なんだろうな。

The Dark Shadow2009-10-12

カラヴァッジオはすぐにかっとなるタイプだった。伝記を読むと、絵を描いていなかったらごろつき同然だったんじゃないかと思う。酒場での諍い、脱獄、決闘の挙げ句にローマから逃げ出すことになる。まずはナポリ、それからマルタ島だ。

マルタ島にカラヴァッジオが滞在したのは半年に満たないにも関わらず、そこでは次々に絵を仕上げたらしい。ほとんどは離散しているが、二枚をヴァレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂で見ることができる。一枚は"The Beheading of St John the Baptist"、もう一枚は"St Jerome Writing"だ。

ヨハネの斬首の方は大作で、縦が四メートル横が五メートル。ヨハネは裏路地で首を斬り落とされようとしている。地面に置かれた剣はすでに使われたはずなのだが、一滴の血もついていなくて、そこだけスポットライトで照らし出したみたいな淡い光を反射して銀色に光っている。サロメ付きの侍女が金色の盆を差し出している。この絵、思った以上に大きくて、ずっと眺めていると右側の方なんか結構がらがらなんだなあと目につく。たぶん舞台美術だからだろう、後ろの扉だって大道具のようだ。歌舞伎っぽい。演劇的な止め絵の美学だ。これまで見たことのあるカラヴァッジオの絵はどれもこれほど大きくなかったので、その舞台っぽさに驚いた。

もう一枚の聖ジェローム、こちらは展示室のライティングのせいもあって実物はもっと暗く見える。おかげで光はより明るく、影はより暗くなり、ぼんやりとした暗闇から聖ジェロームが浮かび上がってくる様は、到底何かを書いているようには見えない。手元は暗いし。禿げかかった老人なのだが、象牙のような裸の上半身が無駄に色っぽく、腰から下を覆う厚手の赤い布がまたきれいで、何とも艶がある。カラヴァッジオの描いた若き日の予言者聖ヨハネなんかもそうなんだが、宗教画にこんな色気があっていいんだろうか。

薄暗い展示室を出ると昼のマルタはなかなか強烈な日差しが照りつけていて、サングラスなしでは表を歩けないほどだ。眩しくて目が開けられない。その分だけ濃い影が街路に落ちて、カラヴァッジオがその後シチリア島へ渡ったことを思えば、このマルタ島はカラヴァッジオの訪れた南端だったのだなと考えた。

Lizards on the Limestone2009-10-13

ゴゾ島の西岸にあるAzur Windowは岸壁が浸食されてできた巨大なアーチで、深い青色の海と空をその向こうに覗くことができる。若いドイツ人観光客がはしゃいで写真を撮っていた。このアズール・ウィンドウへ向かう途中に石切場がある。ゴゾ島の石造りの家々を造るために石を切り出した痕跡が生々しく覗き、そこだけが自然から切り離されて見える。さて、ここで切り出された石というのは、まず間違いなく石灰岩だ。

マルタは石灰岩の国だ。ゴゾ島の中心地ヴィクトリアの旧市街を歩いていると、城壁にぽこぽこ穴があき、また、貝殻がそのままの形を残して埋まっているのが目につく。持ち上げてみるとものすごく軽い。石灰岩だ。ヨーロッパでいちばん古いという紀元前3600年から3000年の巨石神殿も残っていて、これらの石は触れてみると驚くほど滑らかで柔らかい。あれも石灰岩(ちなみにマルタ島のハジャー・イム神殿とイムナイドラ神殿は風化を防ぐためかドーム状の屋根で覆われており、興を削ぐ。ゴゾ島のギガンティーヤ神殿は大丈夫だったので、こちらの方がおすすめかも。まあ、あんな軽い石じゃ、5000年も残ったのが不思議なくらいだから、保護するのはわかるんだが)。さらに、リゾートタウンのスリエマには、実はビーチがほとんどない。あるのは波に洗われた岩場で、裸足で歩いても痛くないほど柔らかい。昼間のあいだは直射日光に晒されて熱くなっても、夜になれば足の裏に心地いい冷たさだ。これも石灰岩。

こうした石灰岩が多いおかげか、これまでの人生で見たのと同じくらいのトカゲに遭遇することになった。彼らは石灰岩の上でのんきに身体を暖めており、人が近くと蜘蛛の子を散らしたように逃げていき、そこここの隙間に潜っていくのだ。たまに動きが鈍い奴もいて、人間と数メートルを隔てて城壁の上、ゴゾ島の畑と丘陵、遠くに地中海を臨んで這いつくばっている。鮮やかなグリーンのトカゲも多く、あちこちに生えたサボテンと相俟って、ここが異国なんだなと強く感じさせた。