Last Man Standing2009-11-10

次に名前を聞くときは訃報だろうということは、みんなわかっていたはずだ。

レヴィ=ストロースが死んだと聞いてすぐ、数年ぶりに内田樹のブログを見に行った。きっとヒット数上がったろうな。時評系の読み物がつまらないのでさよならしてたけど、内田樹なら何か言ってると思うもの。あとは菊地成孔の速報。それで何となく、菊地成孔がチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、バド・パウエルなんかを指して「ビバップの神々」という表現を使うのを思い出した。1940年代のニューヨークにビバップの神々がいたなら、1950-60年代のパリにいたのは----カミュ、サルトル、ブランショ、レヴィナス、ラカン、メルロ=ポンティといったきら星のごとき面々は、まさしく神々と言うにふさわしい。

内田樹は1930年代に若者だった彼らがどのように「壮絶な自負と緊張感」を持っていたかを(半分想像で)書いているが、私が物心ついたときには彼らの大半がすでに鬼籍に入っていたので、もっと懐古的な想像をしてしまう。つまり、生き残るのはどんな気分だったのか、ということだ。

カミュが悲劇的な自動車事故で死んだのは1960年。五月革命なんてまだまだ先の頃だ。サルトルは右目の視力を失ったが1980年まで生き延びた。晩年になってみずからの戦争体験を発表したブランショも2003年にこの世を去って、レヴィナスがきっと静かに生涯を閉じたのは1995年----その頃私はガキだったので訃報を聞いた覚えもない。そういえば死因を聞いたことがないなと思って探したけど、すぐには見つからなかった。ジャック・ラカンは大腸癌を患って1981年に亡くなり、親友だったというメルロ=ポンティは1961年、デカルトについての講義の最中に脳卒中で倒れた。色んな人が色んな死因でこの世を去っていき、何人かは最期が劇的すぎてかえって有名になった。

レヴィ=ストロースより若い人もたくさん死んだ。ロラン・バルトは1980年に交通事故死、ドゥルーズは1995年に自宅から身を投げたし、ミシェル・フーコーは1984年にAIDSで命を落としている。誰かが死ぬたびにみんな、ある時代が終わったような気分になったんじゃないかと思う。そして2004年、数々の弔辞を読み続けたジャック・デリダが死んだ。これで残ったのはレヴィ=ストロースだけだと思った。レヴィ=ストロースはまさしくLast Man Standingだった。だから『悲しき熱帯』のあまりにも有名な最終章の一文を思い出すこともわかっていたはずだ、という気分になる。

世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。

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