The World Cup Melancholy ― 2010-04-03
サイモン・クーパーの『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』が面白すぎ。サイモン・クーパーは優れたサッカージャーナリストで、サッカー自体にさほど熱心でなくてもサッカーを取り巻く諸々に多少の関心がある人ならば必読だ。私が最初に読んだのは『サッカーの敵』だった。これは世界各国でサッカーを取り巻く政治的な思惑や経済的な裏側をじっくり描いた読み応えのある本で、世界各国を飛び回るために紀行文的な面白さもあった。今回の『「ジャパン」はなぜ負けるのか』は経済学者のステファン・シマンスキーとの共著で、各種統計データを元にサッカーの色んな側面を分析しており、目から鱗が落ちまくる上、サッカーだけでなくスポーツビジネス全般の話として読める箇所もいろいろある。『ヤバい経済学』や『その数学が戦略を決める』からこっち流行の統計データを元にした分析本でもあり、行動経済学と統計の本は流行りすぎてちょっと食傷気味だったところに、久々のヒット。というところもある。まあとにかくオススメですよ。値段も安いし(この文章を見ていない同僚に向かって声を大にして言いたいが、ハードカバーでこの量なら2,100円は安いんだ!)。
この本の第11章では「ワールドカップのしあわせ」と題してワールドカップがもたらすとされる「経済効果」について非常に現実的かつ辛辣な分析を繰り広げており、章の最初と最後では南アフリカの黒人達の「いつか俺たちを豊かにしてくれる誰かがやってくる」という幻想が語られる。2010年のワールドカップが南アフリカにどれだけの経済効果をもたらすかと言うと…まあ、この十年くらいで常識として認知されるようになったことだが、経済効果なんてほとんどないわけだ。そこで『インビクタス』ですよ。
『インビクタス』は創作欲が衰える気配のない今や最強の監督イーストウッドの最新作で、南ア大統領となったネルソン・マンデラが、世界的に見たら弱小チームのラグビー南ア代表を励まして、結果、南アで開催されたラグビーW杯において優勝、歓声がスタジアムを揺るがし国中がひとつになる…という実話を元にした映画だ。ちょっと地味ではあるんだけど、"Invictus"という一篇の詩がもたらす力を静かに強く描いている。往来で浮かれ騒ぎパブのテレビを食い入るように眺める、肌の色の違う人々。ただ、その後の南アの状況は決してトントン拍子に行っているわけではなく、経済的な格差も解消されたとは言い難いし、犯罪率の高さは今でもトップクラスだ。そして2010年W杯。イーストウッドはなぜこのタイミングで『インビクタス』を撮ったんだろう? 今年のW杯のことを念頭に置いていなかったはずがない。
クーパーとシマンスキーによれば、日本と韓国で共同開催されたW杯の視聴率はヨーロッパで大変に悪く、というのも時差がよろしくなかったと。南アなら季節は逆でもさほどの時差はないから、視聴率を稼ぐという観点からはありがたい。一方で、W杯だのオリンピックだのはとかく「莫大な経済効果をもたらす」として誘致されるんだけど、実際には借金と無駄な施設ばかりが残ることは目に見えていて、深刻な貧困問題を抱える南アのような国に魔法をかけてくれることはない。
ところで、映画『インビクタス』は経済問題についてはまったく触れず、人種を問わずひとつの国として困難を乗り越えていこうという希望で終わった。それで現実を見れば、"Invictus"はある瞬間国民をひとつにしたかもしれないが、失業率は変わらなかった。観客はすでにそのことを知っている。ネルソン・マンデラが監獄で過ごした27年間の月日の中で一条の光となった詩の言葉、その背後にあった圧倒的な闇こそが、あの映画を成立させているものだーーーと、映画を観た直後は思ったけど、この本を読んでそれだけではないのだと気がついた。映画はそこで終わるが、1994年のラグビーW杯のその後が南アにはあったのだ。映画で描かれないその後は一篇の詩の無力さでもあるだろう。『インビクタス』は本当は、それも込みで観るべき映画だったんじゃないかという気がしてならない。限りなく偉大で、どうしようもなく無力な、魂の指揮官の詩だ。大統領を辞して十年が過ぎたマンデラは、どういう気持ちでこの6月を待っているのだろう?