スモールトーク22008-05-05

新しい仕事が始まったり久々に家主とケンカしたり和凧がうまく揚がらなかったり(しかし菱凧の形状はホントにきれいだ)、いろいろあるにはあったのだが、なんとなく何も書かない時期だった。メールの返事も溜まったままだ。がんがん書いているのは調子がいいときだ。書いていないときは何かがずれているような気配がある。無理やりにでも書くべきなのか?ブログやメールだけじゃなく、手帳にも何も書いていない。これは本当に珍しいことだ。普段ならどこへ行って何をしたか執拗な記録が残っていくのだが、四月に旅行から帰ってきて以来はほとんど予定だけだ。ひょっとしたらまだ時差ボケしてる気分なのかもしれない。ロンドンのネバーランド感にあてられたかな。

何から行こう。7アクトの体験レッスンに行ってみた。

7アクトはマンツーマンの英会話講師を紹介するというサービスをメインにしていて、基本は1時間3,000円のレッスン料と月会費 2,000円。この学校には校舎というものがなく、紹介以降、教師と生徒は勝手に連絡を取り合ってどこかの喫茶店とかでレッスンをすることになる。コンプリートというコースでは、レベルチェックのテストや勉強法などのコンサルティングも行ってくれるが、こちらにすると途端に値段は跳ね上がる。お値段的にはかなり良心的だが、その辺の喫茶店で1時間、へたくそな英語のレッスンを展開することになるわけだ。

初回の体験レッスンでは日本人のコーディネーターがついてきて、コーヒーを一杯奢ってもらい、30分ほどの体験レッスン後にシステムの説明およびコンプリートコースの営業を行う。おお、いかにも営業。話の構成はむちゃくちゃで、ビジネス系でよくある「納得感のある」「ロジカルなコミュニケーション」には程遠いのだが、それがまた「本物の営業さん」らしくて物珍しい。(そういえば転職コンサルの語彙の中でいちばん嫌いだったもののひとつが「納得感のある」だ)

体験レッスンの中身は見事にフリートークで、レッスンの中身はカスタマイズ可能。教師の経歴や質的には、前回試してみたイングリッシュビレッジと大差ない。きっとどの英会話スクールでも、大学レベルのところに行かない限りは五十歩百歩なんじゃないかって気がしてきた。後はシステムとかお値段とかの問題だ。月会費と入会金のおかげでイングリッシュビレッジほどお値打ちではないが、場所の融通が利くこと、メールや携帯で連絡を取れること、ある程度は同じ講師を相手にし続ける点が違いそうだ。

まともに英語力の向上を期待するなら、自主的な学習に多少のプラスとして英会話スクールをプラスするのがいちばん効率が良さそうだ。リーディングもリスニングもライティングも自分でやった方が早い。この際だから相手は問わず、指導が下手だろーが周囲がうるさかろーが気にしない、という方向で行くことにすれば、気にするのは本当にシステムと値段だけになる。残るお試しはSenseiSagasu.comくらいか?

Eat'em all2008-05-12

そういえば昔、当時の同僚が「私が前にいた現場にインドの人がいたんだけど、何かカレーのにおいがするんだよ!」という笑い話をしていたことがあった。今日になってその話を思い出した。そりゃカレーのにおいもするだろう。朝っぱらからやたらスパイシーなにおいをさせていたインド出身の同僚、昼になって理由が判明。お弁当がカレーとナンだった。

…そういえば昼飯に牛肉食べたような気がするな、と思いながら、カレーとナンを食べた右手を器用に舐める同僚のそばで、黙って本を読む。

マハトマ・ガンジーによれば、インドで牛が神聖視されるのも合理的な理由のないことではなくて、つまり、あらゆる家畜の中でも牛ほど多くのものを人間にもたらしてくれるものはないということになる。具体的には牛乳と農業だ。もしインドの人が牛肉大好きだったら、あのやたらと効率の悪い畜産業を営まなければいけなくなる。…が、どうなのかな、牛を食べることを禁じているというのは、牛を食べたがる人がいたからのようにも思える。そもそも誰も牛を食べたがらない世界では、禁じる必要がない。

歴史的には、インドの人が牛を食べていた時代もある。宗教的な供犠として牛を捧げていたヴェーダ時代の話だ。捧げた牛のスピリチュアルな何物かは確かに神にしか食べられないが、物質的に食べられる部分はもちろん人間が食べた。宗教的な儀式を執り行いそれを食べるのは階層の高い人で、階層の高い人というのは往々にして希少価値の高いものが好きで、希少価値が高いものには、少なくとも素朴にはそれなりの理由がある。

過去のどこかで、インドの人たちは、牛は食べるよりも食べずに家畜としておく方が経済的だ、という結論に達したのかもしれない。今じゃよく聞く主張だ。一人分の肉を作る飼料を人間に回せば何人食べられるかという、あれだ。ゴータマ・シッダールタが動物も殺しちゃダメだと言ったのが紀元前五世紀だから、その時期にすでに、牛を人間が食べるのは非効率に過ぎたのかもしれない。社会的にも混乱していた時期のことだ。経済的に繁栄していたとは思えないし、貴重な家畜である牛を食べちゃったら、もう農業を再開できなくなるような農民もたくさんいたかもしれない。

何でも食べるわ、と言う女の詩が金子光晴にあったなあ。どんどん持ってきてちょうだい、肉でも野菜でも男でも、という女の詩。

oh lordy, trouble so hard2008-05-19

モハメド・アリの数ある名勝負の中でも、1975年マニラでのジョー・フレイジャー戦がいちばん好きだ。

1964年の東京オリンピック、最初は代表であるバスター・マシスのスパーリングパートナーとして来日したフレイジャーは、スパーリング中にマシスが指を骨折したことで急遽代表になり、自身も親指を骨折しながら最後まで隠し通して金メダルを獲得する。1965年にはプロ入りし、70年にはヘビー級の王者になった----ただしこの時期、アリはリングにいない。1967年ヴェトナム戦争への徴兵を拒否したアリは、無敗のチャンピオンのまま、キャリアの絶頂期にライセンスを剥奪されていたからだ。復帰までに四年。戻ってきたアリとフレイジャーが、無敗のチャンピオン同士で対決したのが1971年のことだ。スターはアリの方だった。
蒸気機関車のように突進するところから"スモーキン"とあだ名のついたフレイジャーは、アリを負かした最初のプロボクサーになったが、自身も負傷して一ヶ月も入院したらしい。72年にはビッグゲームなし。73年にはジョージ・フォアマンにノックアウトされてタイトルを奪われ、アマチュア時代からフレイジャーのトレーナーを務めたダーハムがこの年の夏に死んでいる。74年、アリとの二回目の対戦では判定負けした。

モハメド・アリは、詩才はないにしてもよく口が回った。試合前のパブリシティではフレイジャーがひとこと喋ろうとするたびに挑発的に文法を訂正、フレイジャーをゴリラと揶揄した挙げ句、ゴリラのぬいぐるみを殴る真似までした。不器用なフレイジャーは傷つき、怒り、しかし言い返せず、こう言ったと伝えられている。
豚がエサをほしがるように、私は彼がほしいよ。

ところで、アリの医者だったファーディ・パチェコの書いた"The 12 Gratest Rounds of Boxing"にもスリラ・イン・マニラの話が登場するが、この本には、フレイジャーのこの有名なせりふが登場しない。代わりにこんなふうに書かれている。「今はああ言ってるが」とジョーは言った。「時が来てドアをノックする音が聞こえる頃には----リングに上がろうとする頃には、私とやるのがどういうことかを思い出すだろうよ。どんなに辛くて長い夜になるかをな」

どちらにしても、フレイジャーにとってアリは、振り切ろうとして振り切れない影を落とし続ける存在だったはずだ。そしてアリのようなパフォーマンスもフレイジャーにはできない。素朴で口べたで率直で、反論の仕方だって知らない、闇雲に突進するばかりのスモーキン・ジョー。
ここではスリラ・イン・マニラの結末は書かないが、この話の苦い終わり----いやまだ終わってはいないが----を知りたいならば、『対角線上のモハメド・アリ』を読むといい。アリが対戦した十六人のボクサーへのインタビューを集めたこの本に登場するジョー・フレイジャーは、いまだに傷ついているのだ。長い引用になるけど書いておこう。

「あいつのことなど、何も気にしちゃいない」。そうフレージャーは答えた。「だが、一つだけわかっていることがある。あいつの方は、俺のことを考えているってことさ。あいつは、毎朝ベッドを離れると同時に俺のことを考えるのさ」。彼が言及しているのは、アリの患う病気についてだ。パーキンソン症候群のことである。あの病気の原因の一つに、フレージャーの左フックを受けたことだとする説があるのである。

バチェコの本に書かれたスリラ・イン・マニラの後日談を読むと、案外バチェコならそう言ったんじゃないかと邪推したくなる。そしてこうだ。

確かにそれは、フレージャーを苦しめた。はらわたが煮えくり返っていた。彼は、反論する代わりにリングの上で重いパンチを叩き込み続けた。もし、それによってアリの健康状態が壊滅的に損なわれ、いまになってフレージャーから中傷の嵐を浴びせられているとすれば、これぞ皮肉中の皮肉である。だが、誰がそんな中傷を聞きたがるだろう?物静かな聖人だと想われていた人物は実は全くそうではなかったなどということを、誰が知りたがるだろうか? 尽きることのない、言葉にならない憎しみの声を聞きたがる者などいただろうか? 善良な人々、教養のある人々、そして繊細な人々ならば、こんなことは言わない。相手は、病魔に冒された悲劇的人物なのだ。最終的にジョー・フレージャーは、自分のことばかり話すようになった。そして人々は、それにうんざりしたのだった。

言わねばならなかったことを言うべきときに言えなかったジョー・フレイジャーの左フック。けどそれにしては、簡潔でぞっとするようなセリフじゃないか。"like a hog wants slop"

ラストチャンス2008-05-21

そうか、何で今ごろ『ヒート』のDVDを再発してくれんのかと思ったら、それもそもそも"Righteous Kill"のためだったんだな…。

"Righteous Kill"はフランス映画『あるいは裏切りという名の犬』のリメイクだ。
パリ警視庁を舞台に、かつては親友だった二人の男が辿る運命の話。仲間からの信望が厚い現場の男レオと、権力欲の強い策略家のドニ。かつて奪い合った美貌の女医カミーユはレオの妻となっていて、ドニはそのことを今も忘れてはいない。今では二人が争うのは長官の椅子だ。そこへパリ市内で現金輸送車強奪事件が続発する。
原題は『オルフェーヴル河岸36番地』と言い、日本で言うなら「桜田門」とつけるようなものだ。冒頭、もうすぐ引退して南仏に引っ込むという仲間のために、警官が二人、オルフェーヴル河岸36番地の標識を引っぺがして盗んでくるシーンがある。仲間意識の強い警官たちのバカ騒ぎが幸福なシーンだ。物語の中盤くらいで思い返して切なくなるには最高だ。
脚本はいささか弱いところもあるが、骨太な警察映画の少なくなった最近ではなかなかのヒットだった。

この映画のリメイク権をデ・ニーロが買ったというニュースが流れた時には「パチーノ対デ・ニーロ!」と思ったが、その後ジョージ・クルーニー対デ・ニーロと報道されて熱が冷め、よく考えたらパチーノもデ・ニーロも年を取りすぎじゃないか、とそのまま忘れていた。
何と、今ごろパチーノ対デ・ニーロふたたび、とは。本人たちもまだ覚えていたのか、それとも、昔のことは忘れたふりをすると決めたのか。高校生の頃に好きだったが今は全然売れてないバンドの再結成ライブみたいな気分もあり、期待していいのかどうか、素直に楽しみに思うよりはちょっと怖い。

いい映画だといいなあ。予告編を見ると、二人ともさすがに年だし(67歳と68歳)、間違いなくこれがラストチャンスだ。逆に、これがいい映画だったら、もう二人とも引退してくれたってかまわない。どうせ最近、大した仕事してないんだしさ!