Eat'em all2008-05-12

そういえば昔、当時の同僚が「私が前にいた現場にインドの人がいたんだけど、何かカレーのにおいがするんだよ!」という笑い話をしていたことがあった。今日になってその話を思い出した。そりゃカレーのにおいもするだろう。朝っぱらからやたらスパイシーなにおいをさせていたインド出身の同僚、昼になって理由が判明。お弁当がカレーとナンだった。

…そういえば昼飯に牛肉食べたような気がするな、と思いながら、カレーとナンを食べた右手を器用に舐める同僚のそばで、黙って本を読む。

マハトマ・ガンジーによれば、インドで牛が神聖視されるのも合理的な理由のないことではなくて、つまり、あらゆる家畜の中でも牛ほど多くのものを人間にもたらしてくれるものはないということになる。具体的には牛乳と農業だ。もしインドの人が牛肉大好きだったら、あのやたらと効率の悪い畜産業を営まなければいけなくなる。…が、どうなのかな、牛を食べることを禁じているというのは、牛を食べたがる人がいたからのようにも思える。そもそも誰も牛を食べたがらない世界では、禁じる必要がない。

歴史的には、インドの人が牛を食べていた時代もある。宗教的な供犠として牛を捧げていたヴェーダ時代の話だ。捧げた牛のスピリチュアルな何物かは確かに神にしか食べられないが、物質的に食べられる部分はもちろん人間が食べた。宗教的な儀式を執り行いそれを食べるのは階層の高い人で、階層の高い人というのは往々にして希少価値の高いものが好きで、希少価値が高いものには、少なくとも素朴にはそれなりの理由がある。

過去のどこかで、インドの人たちは、牛は食べるよりも食べずに家畜としておく方が経済的だ、という結論に達したのかもしれない。今じゃよく聞く主張だ。一人分の肉を作る飼料を人間に回せば何人食べられるかという、あれだ。ゴータマ・シッダールタが動物も殺しちゃダメだと言ったのが紀元前五世紀だから、その時期にすでに、牛を人間が食べるのは非効率に過ぎたのかもしれない。社会的にも混乱していた時期のことだ。経済的に繁栄していたとは思えないし、貴重な家畜である牛を食べちゃったら、もう農業を再開できなくなるような農民もたくさんいたかもしれない。

何でも食べるわ、と言う女の詩が金子光晴にあったなあ。どんどん持ってきてちょうだい、肉でも野菜でも男でも、という女の詩。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://cineres.asablo.jp/blog/2008/05/12/3506380/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。