The Blue Flowers2010-05-16

午前二時を回ったフロアは暗く静まり返っているが、よく見ると、壁際に並んだガラス張りの会議室のひとつにプロジェクターの光が青白い。白い壁に大写しになったパワーポイント上の文字が、マネージャーの発するコメントに合わせてリアルタイムで修正されていく。言葉尻を拾われないように、メッセージラインを損なわないように。あるいはスピーカーズノートにメモを追加していく。そこ明日までに確認しといてよとかそういう内部的なメモだ。テーブルには人数分のラップトップ、散らばった書類、コカコーラの空き缶とタリーズコーヒーの紙コップ、歌舞伎揚げの空き袋が散乱し、開け放されたブラインドの向こうで夜景が雨に濡れている。昨日も徹夜だったという若い営業の男性、手練れのマネージャー、疲労を隠せないチームリーダー。たぶん、ITコンサルのよくある光景だ。

こういう日々がしばらく続くと、インプットもアウトプットも尽きてしまい本屋に行っても何も反応できないようになるのだが、今回はそこまで行く前に終わった。いや、まだ終わってないのかな。少なくとも今日は終わった。で、昨晩さんざん大手町の丸善で迷った挙げ句に一冊も買わず、わけあって『暗闇のスキャナー』を読み返している。フィリップ・K・ディックの長編で、物質Dと呼ばれるドラッグの蔓延した近未来でおとり捜査官となった男の話。SFっぽいガジェットはほとんどなくて、ジャンキー達がだらだらと暮らしている。おとり捜査官と言ったって派手な銃撃戦や息詰まるサスペンスがあるのではない。自転車のギアの仕組みを理解できないジャンキー仲間とうろうろしているばかりだ。この物語がどうやって終わるのか知っているので、最初の何章かを読んでいると、無闇な与太話が最高にアホらしく幸福で、悲しくなる。

ところで、District 9は絶対に観た方がいいですよ。最高。

Another Arkham Asylum2010-05-16

デニス・ルヘインの作品がはじめて映画化されたのは『ミスティック・リバー』で、これはすごい映画だった。クリント・イーストウッドが豪腕をふるっている。『グラン・トリノ』が夜明けだとすれば、夜が明ける直前のもっとも暗い夜が始まった頃で、胸苦しくなるほど重たいラストだった。その後の『Gone, Baby, Gone』はキャスティングが今ひとつだったので観ていないが、私の周囲じゃあまり話題にはならなかったので、可もなく不可もなかったんだろうと勝手に思っている。で、『シャッター・アイランド』である。

見終わったときには、お前らちょっとそこ座れ。いいから座れ。という気分だったが、時間が経つにつれ、連座すべきは映画の作り手というより日本の映画配給会社じゃないかって気がしてきた。映画の冒頭、平行な直線が斜めに見える錯視画像がスクリーン上に現れた後に「あなたの脳にだまされるな」という主旨のメッセージが表示される。だめ押しで「この映画にはいっぱいヒントがあるからちゃんと見ててね!」みたいな。あっそう、ふーん、一時期のシャマランのごとき自信じゃないの。すれた観客のハードルをさらに上げてくれる。以下ネタバレにつきご注意あれ。

で、まあ、オチのどんでん返しは全然たいしたことはないのね。少なくとも驚かない。驚かないどころか、これはどんでん返しを楽しむ類の映画ではないとさえ思われる。確かにちょっと意味深なラストではあるし、まあ、冒頭に提示されたミステリーの解決方法としてはどんでん返しなんだが、始まって三十分もすればこれが「信頼できない語り手」の話だってことはわかるでしょう。で、ネタがアーカム・アサイラムですよ。オチなんかすぐに見えるでしょうが。この話、謎解きじゃなくて「俺が正しいと思ってることをみんなが違うと言うんだが何が本当のことなんだろうかどうして頭が痛いんだろうか本当は間違ってるんだろうかどうして思い出せないんだろうか」なディック的な不安のストーリーとして見るべきものなんじゃないの? 舞台が1954年で赤狩りネタは出てくるし、ナチスの強制収容所ネタも響いてくる辺り、社会背景としてはヴォネガット時代の。

1950年代のアーカム・アサイラムでディック。というだけだったら、ネタに引っ張られてきている1950年代やナチス強制収容所やらにフォーカスを当てて、うわー第二次大戦でディックはきついな。と思えたろうが、それを無理やり、要りもしない冒頭のメッセージでミステリに焦点を当てているので、消化不良もいいとこである。それさえなければ、ダークでシャビーなアーカム・アサイラムと、天気の悪い孤島の風景で、もう少し楽しく観られたと思うんですがね。