夜の音楽2008-02-09

Pharoah Sandersの"Black Unity"がかっこよすぎる。久々にアルバム全コンプリートしたくなってきた、困った。
お酒を飲むときに自分の好きな音楽がかかってたら最高だ。でも音楽だけが目的で飲みに出かけることはあまりないので、オーディオが鎮座ましまして熱心に耳を傾ける一人客が大半、という店にはあまり入らない。それを聴かずにおしゃべりに熱中しててもいいし、喧騒交じりに聴いてもいいくらいの距離感がいいんだが、そういう店ではあんまり好きな音楽がかかっていることがない。
クラシックがかかる喫茶店がありソウルのかかるバーがあり、ボサノヴァのかかるカフェがあって、Pharoah Sandersが今いちばんかけられるのはクラブだろう。不可侵条約でもあるかのようだ。不思議なことだが当たり前でもある。バーではPharoah Sandersはかからない。

夜のドトールでかかってるジャズはすごく実用的な感じがする。
音楽に実用も何もないようなものだが、OLが「あんまり変な格好もできないし、OLらしいの買わなくちゃ」と言って買い足すカットソーがファッションという非実用なのか生活という実用なのか判別がつきがたいような意味で、実用的だ。二年前に買ったカットソーがまだ「着る」という実用として問題なくても、もうそんなデザインのカットソーを着ているOLがいないのであれば、それは「変な格好」のサブジャンルのひとつ「あからさまな時代遅れ」に分類されてしまう。そういえば、裾が斜めだったりランダムだったりするスカートはいつの間に消えたんだろう。
ドトールのジャズが実用的に思われるのは、ある意図を持ってジャズが選ばれていて、かつ、ジャズ以外にはその意図を持ってセッティングされている環境がほかにないように見えるからだ。ジャズといえば今では「夜」で「大人」で「かっこつけ」なもので、それらの要素は取り立ててドトールには必要ではない。OL さんが二年前のカットソーに今年流行の丈の短いパンツを合わせて「今年風」だというのが、実際の仕事には必要ないようなものだ。そこに厳然とあって、しかも、注視している人は少ない。

それがどれほど激しいライブ音源だろうと、いまや、すべての音楽は日常生活になりうるだろう。
サティは家具の音楽を演奏するときに「これから演奏する音楽をどうかお聴きになりませんように」と前置きしたが、聴かなくていいのならなぜ作ったか、とは誰も問わなかったのだろうか。コンセプトは明解で、日常生活を妨げないというものだったが、演奏されたのはサロンでだ。サロンで行われているのは日常ではあるかもしれないが、生活と呼べるようなものかはまた別の問題だ。
ところで家具の音楽は「実用的」にはなりうるのだろうか?