なにもしなかったある日2007-11-30

1935年にフェルナンド・ペソアが死んだときには、ほとんど無名で、一冊の本を上梓しただけだった。今ではリスボンに銅像のあるくらいには名の売れた詩人だが、生前はずっと貿易会社で事務員をやっていた。ペソアがどんなつもりで貿易会社で働いていたのか知らないが、彼の天分はおそらく書くことにあったのだから、詩や断章を書いて食べることができたらそうしていたのかもしれない。ほとんど無名だったわけだし、食べようとしても食べられなかったのではないかと思う。
明日も目が覚めたらそれができる、と思えるような仕事に巡り会えたら幸せだろうと思うけれど、必ずしも巡り会えるとは限らないことも知っている。今は21 世紀だし、ここは日本だから、天職と呼べる仕事を見つけられる確率はかなり高い方だろう。それでも、それと自分が不可分であり、それと人生が一体化しているような、そんな職業に就けるとは限らないのだ。じゃあどうする?
『バタフライハンター』はとても面白い本だった。「10のとても奇妙で素敵な仕事の物語」という副題のついたこの本は、目玉職人や筆跡の鑑定家や表題のバタフライハンターなど、キャリアカウンセリングの求人リストには決して載らないような仕事に就いた10人を取材した本だ。登場する人物のひとり、脳性麻痺で車椅子に乗って生活しているアメリカンフットボールのキッキングコーチはこう述べている。「他人の言うことなんかクソくらえ。自分がしたいことをすればうまくいく」
読んだ後に思い出したのはペソアのことだ。ペソアはうまく行っていたようには思えない。もし、バタフライハンターのように好きなことを仕事にしたのだったら、貿易会社で働きながら詩を書くことはなかったんじゃないか?ペソアにとっては会社での仕事はまさしく労働であって、誇りを持てることもなくただ日々が過ぎていくだけの苦役だったということはないんだろうか。

11月で現場を離れるので、今日の仕事は片づける以外何もなかった。挨拶回りをして喫煙所仲間の男性と初めて名刺を交換したりして、夕方の六時には会社を出た。見送りに出てきてくれたお客さんとこの副部長は、私の入館証を受け取ると笑う寸前みたいな顔になって「荒井さんでなければこの仕事はできなかったでしょう」と言ってくれた。ありがとうございます。少しは役に立てたようでよかった。春には次の仕事を探したいと思っています。でもお役に立ててよかった。
それからコーヒーショップに寄って『バタフライハンター』を最後まで読み、飲み会の待ち合わせ場所まで歩いた。ペソアの詩に「ああ モーターが自己を表現するごとく おれのすべてを表現できたなら。」という一節があるんだけど、「おれのすべて」に仕事はどう含まれていたんだろうね。ペソアの「あまりに明るいある日」は、「仕事に励もうと思いながらなにもしなかったある日」なんだ。